HISTORICAL PERSON · 2009年没

ビアトリス・アーサー

アメリカ出身の女優。ニューヨーク市ブルックリンに生まれたユダヤ系で、テレビなどで活躍した。

生涯
2009年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ブレントウッド)
出生地
アメリカ合衆国(ニューヨーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ビアトリス・アーサー(愛称ビー・アーサー)は、1922年5月13日にニューヨーク市ブルックリンで生まれたアメリカ合衆国の女優で、コメディアン、歌手でもあった。出生時の名はバーニス・フランケルといい、ユダヤ系の家庭に育った。両親はオーストリア生まれの母レベッカ(旧姓プレスナー)とポーランド生まれの父フィリップで、姉のガートルードと妹のマリアンがいた。1933年に一家はメリーランド州ケンブリッジへ移り、両親は婦人服の店を営んだ。16歳のころ血液が固まりにくい病気にかかり、心配した両親は、ペンシルベニア州リティッツにある女子寄宿学校リンデン・ホールへ最後の2年間を通わせた。その後、バージニア州の女子大学でも1年学んだ。

第二次世界大戦中の1943年には、海兵隊女性予備部隊の最初期の隊員の一人として入隊した。基礎訓練ののち、ワシントンの海兵隊本部でタイピストを務めたが、同年6月に希望が認められて、ノースカロライナ州の自動車輸送学校へ移った。1944年から1945年にかけてはチェリーポイントでトラックの運転と配車の仕事に就き、1945年9月にスタッフ・サージェントの階級で名誉除隊した。除隊後はフィラデルフィアの学校で1年学び、臨床検査技師の資格を得たが、病院での実習を経て検査技師として働く道は選ばなかった。1947年にニューヨークへ出て、ニュースクールの演劇学校に入った。ドイツ人演出家エルヴィン・ピスカトールのもとで学び、リー・ストラスバーグにも師事したとされる。

舞台女優としての出発は1940年代の終わりで、ニューヨークのチェリー・レーン劇場のオフ・ブロードウェイの劇団に所属した。1954年にはブリッツスタインによる英語版『三文オペラ』の上演でルーシー・ブラウンを演じ、1964年にはブロードウェイの『屋根の上のバイオリン弾き』の初演で、仲人イェンテの役を最初に演じた。1966年には、夫のジーン・サックスが演出するミュージカル『メイム』の主役に応募したが、役を得たのはアンジェラ・ランズベリーであった。アーサーは脇役のヴェラ・チャールズを引き受けて高い評価を得、同年にトニー賞のミュージカル助演女優賞を受けた。この役は1974年の映画版でもルシル・ボールと共演して再び演じた。
テレビでの転機は1971年で、ノーマン・リアに誘われ、人気のコメディ『オール・イン・ザ・ファミリー』にイーディスのいとこモード・フィンドレー役でゲスト出演した。モードは率直な自由主義者でフェミニストであり、保守的な主人公アーチーとは対照的な人物として描かれた。当時49歳だったアーサーの演技は視聴者だけでなく放送局の幹部にも強い印象を残し、「あの女性は誰か。専用の番組を持たせよう」と言われたと本人は後に振り返っている。こうして1972年に始まった『モード』は、ニューヨーク州ウェストチェスター郡の裕福な町に住む、4度目の結婚をしたモードとその家族を描き、1978年まで続いた。この役でエミー賞やゴールデングローブ賞の候補になり、1977年にエミー賞のコメディ部門主演女優賞を受けた。

1985年から1992年にかけては『ゴールデン・ガールズ』でドロシー・ズボルナックを演じ、1988年に再びエミー賞の主演女優賞を受けた。この部門でのノミネートは9回に及ぶとされる。2002年には一人芝居でブロードウェイの舞台に立ち、2008年にはテレビ殿堂に迎えられた。2009年4月25日に亡くなった。背の高い低音の声と切れ味のある台詞回しで知られる女優と追悼記事は評している。

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