伝記
レナ・メアリー・カルフーン・ホーンは、1917年6月30日にブルックリンで生まれたアメリカのジャズ歌手、女優である。19世紀の政治家ジョン・カルフーンを先祖に持つとされる。父エドウィンは彼女が3歳のときに姿を消し、母エドナはアフリカン・アメリカン・シアターの女優で、レナは母方の祖父母に育てられた。1933年にコットン・クラブの舞台に立ち、ジャズ楽団との地方巡業で名前と顔を知られるようになった。1938年にミュージカル映画『デューク・イズ・トップス』で、美人のジャズ歌手としてデビューした。アーティ・ショウ、テディ・ウィルソン、デューク・エリントン、チャーリー・バーネットなど、数多くのジャズ奏者と幅広く共演した。
その後はMGMに移った。1943年には、舞台『パナマ・ハッティ』で歌った「ストーミー・ウェザー」がヒットし、同名の映画にも出た。MGMでは数々の映画に出たが、アフリカ系アメリカ人の女性が主役を演じることが許されなかった時代で、限られた役しか与えられなかった。実父は白人との混血だったため、彼女は「アフリカ系にしては色が白い」と見なされ、役のために顔を黒いドーランで塗られることもあったという。映画の宣伝にも、褐色を意味する言葉が添えられた。白人に従属しなくてはならない現実に憤り、カメラに笑顔を向けることは人種差別の白人社会に迎合するようだと嫌った。そのためについたあだ名が「氷の美女」であった。1951年の映画『ショウ・ボート』では、主役のアフリカ系女性の役に内定していたが、アフリカ系の女性と白人男性の恋愛映画を認める時代ではなかったため、エヴァ・ガードナーに替えられた。
第二次世界大戦中の慰問では、白人兵士が舞台の前に座り、その後ろに捕虜のドイツ人兵士、最後方に有色人種の兵士が置かれた配置に憤り、公演を拒否したことがあった。のちに公民権運動に参加し、エレノア・ルーズヴェルトとともに反リンチ法案を通すために運動した。1950年代に入るとハリウッドを離れ、ナイトクラブでの歌手活動に力を入れた。ポール・ロブソンと共演するなどした政治的な姿勢が問題視され、ブラックリストに載せられて国内での活動が難しくなると、1947年に結婚した2度目の夫で、ユダヤ系アメリカ人のジャズ音楽家レニー・ヘイトンとともにフランスへ渡り、歌手活動を続けた。二人は異人種間の結婚として世間の圧力を受け続けたが、1971年のヘイトンの死まで連れ添った。
その後はブロードウェイのミュージカルに出るなどして、アメリカでの活動に徐々に戻った。1958年にトニー賞の最優秀ミュージカル女優賞にノミネートされ、1969年の映画『ガンファイターの最後』では、クレア・クィンタナ役を演じた。1978年のテレビ映画『ウィズ』ではグリンダ役を務めて若いファンを獲得し、1994年のMGMの回顧録映画では、司会者の一人となった。1970年代後半には、ブロードウェイのひとり舞台を成功させた。1981年にグラミー賞の最優秀ポップス・パフォーマンス賞を、1989年にグラミー賞の功労賞を、1995年にアルバム『リナ・ホーンの夜』で最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞を受けた。2000年以降は公の場に姿を見せず、ニューヨークで暮らし続け、2010年5月9日に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- アレクサンダー・ヘイグ (2010年没)
- オレグ・ヴェリキー (2010年没)
- アンガス・マディソン (2010年没)
- イヴェット・ヴィッカーズ (2010年没)
- ギリジャー・プラサード・コイララ (2010年没)
同じ地域に関係する人物
- オイゲン・シュフタン (1977年没)
- ジョン・アッシュベリー (2017年没)
- ユリエル・ワインライク (1967年没)
- ポール・カーツ (2012年没)
- ジョン・バーコール (2005年没)