HISTORICAL PERSON · 2010年没

ブノワ・マンデルブロ

フランスの数学者・経済学者。ポーランドのワルシャワに生まれ、11歳でフランスに移住した。フラクタルを導入したことで著名で、イェール大学の名誉教授となった。

生涯
2010年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / ケンブリッジ)
出生地
ポーランド共和国(ワルシャワ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

ブノワ・マンデルブロは、1924年11月20日にポーランドのワルシャワで、リトアニア系ユダヤ人の家庭に生まれたフランスの数学者・経済学者である。本人は「ブヌワ・マンデルブロット」のように発音していたとされ、日本では文献によって表記が揺れている。家系はリトアニアからの移民で、父は衣服の流通で生計を立てていた。教育熱心な家庭で、医師である母の二人の伯父から数学を教わり、伯父のシューレム・マンデルブロはパリで著名な数学者だった。11歳のとき、ポーランドの政治的な背景から一家はフランスに移住し、戦争が近づくなかでも、ブノワの教育課程が修了するまでフランスにとどまった。

第二次世界大戦の開戦前に一家でチュールに引っ越すまでは、パリのリセ・ロランに通っていた。1944年に再びパリに戻り、1945年から1947年までエコール・ポリテクニークに在籍して、ガストン・ジュリアとポール・レヴィに師事した。その後の二年間はアメリカのカリフォルニア工科大学で航空工学を学び、フランスに戻って1952年にパリ大学で数学の博士号を取得した。1949年から1957年にはフランス国立科学研究センターの研究員を務め、その間にジョン・フォン・ノイマンの後援を受けてプリンストン高等研究所にも在籍した。1955年に結婚してジュネーヴに移り、さらにリールへ引っ越した。1958年に夫妻でアメリカに移住し、ニューヨーク州ヨークタウン・ハイツにあるIBMのトーマス・J・ワトソン研究所に研究員として就職した。そこで長く働き、のちにフェロー、さらに名誉フェローとなった。

1951年からは数学だけでなく、経済学、流体力学、情報理論の研究と論文発表を行い、長距離秩序と自己相似という二つの主題を選んだ。金融市場の価格変動は正規分布ではなく、理論上は分散が無限大になる安定分布に従うことを見いだし、一例として綿花の価格が、正規分布よりも、パラメータが1.7の安定分布に従うことを突き止めた。1975年には一連の図形を表すためにフラクタルという概念を考案し、1977年に論文で発表した。1979年にハーバード大学数学科の客員教授を務めるあいだ、充填ジュリア集合の研究を始め、コンピュータで数式のイメージを得て、複素パラメータへの依存を調べる過程で、のちに彼の名が付けられるマンデルブロ集合を研究した。1982年には理論を拡張して『フラクタル幾何学』を発表し、その理論は一般の数学と専門分野の双方で主流となった。

1987年にIBMを退職してイェール大学の数学科に加わり、2005年に退職して名誉教授となった。1986年にフランクリン・メダル、1988年にフンボルト賞、1989年にハーヴェイ賞、1993年にウルフ賞の物理学部門、1994年に本田賞、2000年にルイス・フライ・リチャードソン・メダル、2003年に日本国際賞を受け、2006年にはアメリカ数学会のアインシュタイン講演を務めた。経済学の分野でも、1959年から1964年にかけて、所得の分布などをめぐる論文を相次いで発表している。2010年10月14日、膵癌のため、療養中のケンブリッジのホスピスで死去した。

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