HISTORICAL PERSON · 2011年没

サティヤ・サイ・ババ

インドの宗教家。日本ではサイババと呼ばれ、国内外に数百万人の信奉者を持ち、世界126か国にセンターを作った。1972年にセントラル・トラストを設立した。

生涯
2011年没
死亡地
インド(アーンドラ・プラデーシュ州 / プッタパルティ)
出生地
インド(プッタパルティ)
出典
世界地図
インド(アーンドラ・プラデーシュ州)

伝記

サティヤ・サイ・ババは、1926年11月23日に南インドのアーンドラ・プラデーシュ州アナンタプラム県プッタパルティという小さな村の、貧しいラトナーカラム家に生まれたインドの宗教家である。日本ではサイババの名で知られる。父はペッダ・ヴェーンカマ・ラージュ、母はイーシュワランマで、5人きょうだいの次男にあたり、サティヤ・ナーラーヤナ・ラージュと名づけられた。

1940年5月23日、14歳のとき、自分はシルディのサイ・ババの生まれ変わりで、シヴァとシャクティの化身であり、人々の悩みを取り除くために降臨したと宣言し、サイ・ババを名乗るようになった。この名は「聖なる父」を意味するとされる。同年10月20日に家を出て説法を始めると、不治の病を治すといった数々の奇跡が人々に知られるようになり、名前は次第にインド全土に広がった。1960年代末には、インド人やインド系の人々を中心に、世界各国に数百万人以上の信奉者を持つようになったとされる。講話をまとめた本や体験記は数百冊が出版され、さまざまな言語に翻訳された。

1990年代には、元大統領や元首相らが表敬訪問をした。日本では青山圭秀が『理性のゆらぎ』『アガスティアの葉』などを著して紹介し、棋士の林葉直子がインドへ行くと言い残して失踪したことがワイドショーなどで盛んに報じられたのをきっかけに、サイババ・ブームが起こった。1994年には、水不足と干魃に苦しむアナンタプル地区の300万人を超える人々に飲料水を供給する「恵みの水」計画を宣言し、10か月ほどで水道施設の工事を終えて、1995年11月23日に完成式典を開いた。この計画は1997年に州政府に引き渡され、1999年には記念の切手も出た。2002年には、チェンナイの市民のために川から飲用水を引くガンガー計画を始め、2004年に完成した。

1990年代末から2000年にかけては、イギリス人のピアニスト、デヴィッド・ベイリーらが批判を始め、マスコミやインターネットで様々な噂が飛び交い、信奉者が減ったという。2000年9月、ユネスコは批判報道を憂慮して、予定していた教育会議の共催と参加を取りやめたが、2004年2月には、この件について謝罪文をインド政府の常任代表に提出した。2001年を迎えると、無料の病院や学校、水道設備などの社会奉仕が評価され直し、再び信奉者が増え始めた。国連ハビタットは同年、提唱する人間的価値の教育を用いた水の教育をアフリカ諸国で始めた。教育法は、真実・正しい行い・平安・愛・非暴力の五つの普遍的価値を柱とし、1969年に始まった子どもの教室バルヴィカスは、100か国以上で行われている。

サイ・ババは自分の名を使った商売を認めず、帰依者を装って金を集める者を重大な犯罪だと述べたと伝わる。2011年3月下旬に呼吸器などの不調で入院し、4月24日に入院先の病院で心肺不全のため85歳で亡くなった。葬儀は国葬として営まれ、土葬され、首相らが参列した。団体は、本人が予言した通りの歳(インド暦で95歳)で亡くなったとも考えられるとしている。2025年にはインド政府が生誕100年を記念して100ルピー硬貨の発行を発表した。

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