伝記
スティーブ・ジョブズは、1955年2月24日にサンフランシスコで、シリア人の父アブドゥルファター・ジャンダーリと、ドイツ・スイス系アメリカ人の母ジョアン・シーブルの間に生まれた。生後すぐに養子に出され、ポール・ジョブズとクララ・ジョブズ夫妻に育てられた。実母は養父母が大学を出ていないことを理由に縁組をためらったが、夫妻が子を大学に進ませると約束して縁組が成立したと、本人は2005年のスタンフォード大学の卒業講演で語っている。実母と再会したのは養母の死後の1986年で、実の妹モナ・シンプソンの存在もそのとき知った。一方で実父とは生涯会おうとしなかった。
1960年にカリフォルニア州パロアルトへ移り、幼いころは手のかかる子どもだったという。4年生のとき快活な女性教師に出会って勉強が好きになり、知能検査で並外れた成績を示して1年飛び級した。しかし進んだ中学で周囲にいじめられ、一家はロスアルトスの家に転居した。13歳のときにはヒューレット・パッカード社の経営者に電話をかけ、部品を求めたところ、夏休みのアルバイトを持ちかけられた。1971年の夏、友人の紹介でスティーブ・ウォズニアックと知り合い、2人は意気投合した。電話を不正に無料でかけられるブルーボックスという装置を作り、ジョブズは1台150ドルほどで200台余りを学生に売ったが、銃で脅されて装置を奪われたのを機に販売をやめた。後年、この経験がなければアップルは生まれなかったと語っている。
1972年9月にリード大学に入学したが、学費への罪悪感から半年ほどで中退し、そのまま興味のある講義だけを聴講して合計18か月を過ごした。1974年にはアタリに40人目の社員として入り、インドへの旅を経て禅を学んだのち、1975年初頭に同社へ復職した。1976年4月1日、ウォズニアック、ロナルド・ウェインとともにアップルコンピュータを創業し、翌1977年に発売した「アップルII」が大成功を収めた。1980年12月の株式公開で2億5,600万ドルの個人資産を手にし、1982年2月には『タイム』誌の表紙を飾った。続いてマッキントッシュの開発を主導し、1984年に発表したが、数か月後には販売不振に陥り、社内での立場が危うくなった。1985年5月にCEOのジョン・スカリーによって業務から外され、同年9月に会社を去った。
その後、ルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を1,000万ドルで買収してピクサーを設立し、自ら創った会社ネクストでもワークステーションとOSの開発を指揮した。1996年にネクストがアップルに買収されて復帰し、1997年に暫定CEO、2000年に正式にCEOとなった。マイクロソフトとの提携やリストラで業績を立て直し、アイポッドやアイフォーン、アイパッドを世に送り出したと評される。2006年にピクサーがディズニーに74億ドルで買収されると、ジョブズは同社の個人筆頭株主となり、役員にも就いた。2003年に膵臓がんと診断され、2011年10月5日に56歳で死去した。2012年にはグラミー賞の特別功労賞の一つ、トラスティーズ賞が贈られ、2022年には大統領自由勲章が追贈された。
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