伝記
バルーク・サミュエル・ブランバーグは、1925年7月28日にニューヨークで生まれたアメリカ合衆国の医学者で、バリーの愛称で知られた。生地はブルックリンで、ユダヤ系の家庭に生まれ、父は弁護士のマイヤー、母はアイダといった。小学校はユダヤ教正統派のイェシバ・オブ・フラットブッシュに通い、通常の科目に加えてヘブライ語の読み書きや聖書の原典の学習も受けた。その後ジェームズ・マディソン高校に学び、クイーンズのファー・ロッカウェイに移ってからは同地の高校に転校した。第二次世界大戦中は海軍の甲板士官を務め、戦後にスケネクタディのユニオン・カレッジへ進んで1946年に優等で卒業した。
当初はコロンビア大学の大学院で数学を学ぶつもりだったが、医学に転じ、同大学の医科大学院に入って1951年に医師の学位を得た。その後の4年間は同大学の附属病院で、はじめはインターン、のちにレジデントとして勤務した。続いてオックスフォード大学のベリオール・カレッジで生化学の研究に取り組み、1957年に博士の学位を得ている。のちには同カレッジで初めてのアメリカ人の学寮長となった。
1950年代を通じて、ブランバーグは世界各地を旅して人間の血液を採取し、人の遺伝的な変異を調べた。同じ環境にいても病気にかかる人とかからない人がいるのはなぜか、という問いが関心の中心だった。1964年、黄疸を伴う肝炎を調べるなかで、オーストラリアの先住民の血液から、B型肝炎の表面抗原を発見した。当初は「オーストラリア抗原」と呼ばれた。同僚のアルトン・サトニックは、この抗原が後天的に得られ、肝臓の炎症性の疾患と結び付くことを見いだし、抗原が肝炎ウイルスの一部であろうと推測する手がかりを与えた。ブランバーグらの研究は、このウイルスが肝臓がんの原因にもなりうることを示した。研究チームは、輸血用の血液を通じた感染を防ぐための検査法を開発し、さらにワクチンも作り上げた。ブランバーグはのちにワクチンの特許を自由に使えるようにして、製薬会社による普及を促した。中国では、このワクチンの導入によって、子供のB型肝炎の感染率が10年で15パーセントから1パーセントに下がったという。
1964年から、フィラデルフィアにある癌研究所のメンバーとなり、同時にペンシルベニア大学の教授も務めた。1989年から1994年までは母校オックスフォード大学ベリオール・カレッジの学寮長を務め、1999年から2002年にはアメリカ航空宇宙局の宇宙生物学研究所の所長も務めた。1992年には肝炎の治療法の発見と患者の生活の改善を目指す、B型肝炎財団の設立にも加わり、死去するまで顧問や特別研究員として関わった。
1976年、「感染症の原因と感染拡大についての新しいメカニズムの発見」により、ダニエル・カールトン・ガイジュセクとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。その前後には、1974年にパサノ賞、1975年にガードナー国際賞とカール・ラントシュタイナー記念賞を受けている。2005年からは、米国哲学協会の会長を務めた。2011年4月5日、心臓発作により急死した。誕生日の7月28日は、世界肝炎デーの日付に選ばれている。
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