伝記
バルフ・ベナセラフは、1920年10月29日にベネズエラのカラカスで生まれた病理学者、免疫学者、医師である。名はバールーフ・ベン=アセラフとも表記される。父アブラハムはモロッコ出身、母アンリエッタ・ラスリーもユダヤ系で、いずれもセファルディム(スペイン系ユダヤ人)の家系とされる。弟に哲学者のポール・ベナセラフがいる。5歳からはフランスのパリで暮らし、リセ・ジャンソン・ド・サイイで学んだ。10歳のときに家族とともにベネズエラへ戻っている。
その後アメリカ合衆国に渡り、コロンビア大学で学位を得て、バージニア州リッチモンドのバージニア医科大学で医学博士の学位を取得した。1943年にアメリカの市民権を得て、同じ年にアネット・ドレフュスと結婚し、一人娘ベリルをもうけた。短期間、アメリカ陸軍で医師として働いたのち、1948年にコロンビア大学医科大学院の研究員となって研究者の道に進んだ。その後の勤務先は、1956年からニューヨーク大学、1968年からアメリカ国立衛生研究所、1970年からハーバード大学である。
ベナセラフの名を高めたのは、免疫応答遺伝子の発見である。ある可溶性の抗原に対して、免疫がどのように反応するかは個体ごとに異なり、その違いは両親から遺伝して、メンデルの法則に従って受け継がれることを示した。すべての個体が同じ抗原に応答できるが、個体ごとに認識する抗原決定基が異なるという。この研究は、主要組織適合遺伝子複合体に属する「Ir遺伝子」と呼ばれる遺伝子群に関わるもので、免疫が細胞の水準でどう働くかを理解する上で重要な成果となった。その後の研究は、この複合体の中に30を超える遺伝子があることを明らかにし、多発性硬化症や関節リウマチのような自己免疫疾患にも関わるとされる。
1980年、細胞表面にある遺伝的に決まった構造が免疫反応を調節することを明らかにした功績で、ジャン・ドーセ、ジョージ・スネルとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。賞金は三人合わせて約21万5000ドルだったという。スウェーデン側の発表によれば、スネルは組織を個体間で移す可能性を決める遺伝因子を見いだし、ドーセは人間に同様の抗原があることを明らかにし、その形成を支配する遺伝因子を調べた。ベナセラフは、遺伝因子が抗原の産生を決める遺伝子と深く結びついていることを示した。賞は臓器移植の拒絶反応の問題や、免疫とがんの関係を考える上でも意義があるとされた。受賞に際しては、自国のために賞を得られたことを誇りに思うと述べたと伝えられる。1990年にはアメリカ国家科学賞も受けた。1998年には自伝『カラカスからストックホルムへ』を著している。
2011年8月2日、マサチューセッツ州ボストンの自宅で、肺炎のため亡くなった。
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