伝記
ノーラ・エフロンは、1941年5月19日にニューヨークのユダヤ系の家に生まれた脚本家、映画監督、作家である。4人姉妹の長女で、カリフォルニア州のビバリーヒルズで育った。両親のフィービーとヘンリーはともに東海岸生まれの劇作家で脚本家であり、名はイプセンの戯曲『人形の家』の主人公にちなんでつけられた。妹のデリアとエイミー、ハリーも書き手である。両親は、22歳のノーラが大学から出した手紙をもとに、舞台と映画の作品の若い娘の役柄を創作した。晩年には、両親ともアルコール依存になったという。高校生のころは、詩人で批評家のドロシー・パーカーのような存在になることを夢見てニューヨークに出ることを望み、高校の新聞部の教師をジャーナリストを志した原点に挙げている。1958年に高校を卒業し、1962年にマサチューセッツ州のウェルズリー大学を政治学の学位で卒業した。
卒業後は、ケネディ大統領のホワイトハウスでインターンとして短期間働いた。次いで雑誌の記者を志願すると、女性の書き手は雇わないと言われ、郵便係として入社した。書かせてもらえないために辞め、性差別を訴える集団訴訟にも加わった。のちにこの訴訟は書籍やドラマになっている。雑誌に載せた『ニューヨーク・ポスト』を風刺する文章が編集者の目に留まり、同紙の記者として5年間働いた。1966年には、ボブ・ディランが内輪の式でサラ・ラウンズと結婚していたことを、同紙でスクープした。続いて雑誌に女性の問題についてのコラムを書き、体のイメージをユーモラスに描いたエッセイで名を上げて、ニュー・ジャーナリズムの異端児と評された。1970年のエッセイ集『乱交パーティーのウォールフラワー』はベストセラーになり、エッセイストとして活躍した。
1970年代半ば、当時の夫でウォーターゲート事件を暴いた記者のカール・バーンスタインとともに、『大統領の陰謀』の脚本を書き直した。この脚本は採用されなかったが、人の目に留まり、テレビ映画の脚本という最初の仕事につながった。やがてバーンスタインと離婚し、その経緯が大きな話題となった。1983年に小説『ハートバーン』を刊行し、これは結婚生活をもとにした半自伝的な作品である。同じ年、アリス・アーレンと共同で脚本を書いたマイク・ニコルズ監督の映画『シルクウッド』で、アカデミー賞の脚本賞にノミネートされる脚本家となった。1986年には『ハートバーン』が、ニコルズ監督、エフロンの脚本で映画化された。1989年の『恋人たちの予感』でもアカデミー賞の脚本賞にノミネートされ、英国アカデミー賞を受賞した。
1992年に、妹のデリアとの共同脚本による『ディス・イズ・マイ・ライフ』で監督としてデビューした。翌1993年にはトム・ハンクスとメグ・ライアンが共演する『めぐり逢えたら』が大ヒットした。1998年にはこの二人が再共演した『ユー・ガット・メール』が自身最高の興行収入を記録した。ライアンとは通算4度組み、ロマンティック・コメディの名手として知られた。メリル・ストリープとも3度組んでいる。その後に撮った『ジュリー&ジュリア』(2009年)などがある。戯曲の初作品や、共同執筆した舞台も高く評価された。2012年6月26日、白血病のため死去した。
同じ年に亡くなった人物
- Robert Sabatier (2012年没)
- 単国璽 (2012年没)
- J・ベルンレフ (2012年没)
- ゲヴォルク・ワルタニャン (2012年没)
- Iryna Kalynets (2012年没)
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