HISTORICAL PERSON · 紀元前600没

アナカルシス

前6世紀のスキタイの王子で哲学者とされるが、実在性は不確か。ギリシャを旅し、兄のスキタイ王に殺された。後のギリシャ・ローマでは「野蛮人の知恵」を体現する人物として七賢人に数えられた。

生涯
紀元前600没
死亡地
ロシア連邦(Hylaea)
出生地
ロシア連邦(クリミア自治共和国 / スキシア)
出典
世界地図
ロシア連邦(クリミア自治共和国)

伝記

アナカルシスは、紀元前6世紀に生きたとされるスキタイの王族であり、後にギリシア世界で賢者として語られた人物である。ただし実在性には不確かな点が残り、確かな事実はごくわずかしか伝わらない。父はスキタイ王グヌロス、兄は王サウリオスで、彼はその弟にあたるとされる。一方、父はスキタイの公子で母はギリシア人であり、二つの言語を話し、貴族層に属したともいわれる。兄の名もカドゥイダスと伝えられることがあり、この人物の系譜は伝承ごとに揺れている。甥にはペルシアの侵攻に抵抗したイダンテュルソスがいたと伝えられる。史実の彼がギリシアへ旅し、その文化の影響を受けた可能性はあるが、具体的な事績はほとんど分からない。

伝承によれば、アナカルシスはアテナイを訪れ、紀元前588年ごろに立法者ソロンに迎えられた。その機知に富んだ受け答えがソロンを引きつけたといい、外国人として初めてアテナイの市民権を与えられ、デメテルのエレウシス秘儀にも加わったと語られる。ただし、これらは後世の伝承であって、確かな記録とは言いがたい。彼が書いたとされる、スキタイとギリシアの習俗や戦争、簡素な暮らしを比べた800行の詩も、現在は何も残っていない。

彼の名を有名にしたのは、ギリシア人の生活を外の目から皮肉る数々の言葉である。祖国を恥じるのかと問われて、自分の祖国が恥なら、お前はお前の祖国の恥だと答えたと伝わる。厚さが指四本分しかない船板を見て、これだけで船乗りが死を免れるのかと驚き、最も安全な船は錨を下ろした船だと語ったともいう。運動競技を褒美の対象とする風習にも驚いたとされ、法は小さな蠅だけを捕らえて大きな蜂を通す蜘蛛の巣のようなものだと述べたとも伝わる。舌こそ人の最良にして最悪のものだとする言葉や、葡萄の木は快楽と酔いと悔恨の三房を実らせるという言葉も彼の名で伝わる。こうした逸話から、後にはギリシアの七賢人の一人に数えられることもあった。錨や陶工のろくろを発明したという伝承もあり、プラトンの『国家』にも発明者として名が挙がる。

最期については、ヘロドトスが次のように伝えている。故郷へ戻ったアナカルシスは、ギリシアの風習を持ち込もうとしたために、兄の手にかかって殺されたという。一方、彼が祖先神である蛇脚の女神の聖所で、夜に太鼓を打ち、衣に神像を付けて秘儀を行ったことが直接の原因だともいわれ、その場合ヘロドトスの説明は後づけの可能性が高い。

死後、アナカルシスは自然のままに生きる賢明な野蛮人の理想像として、ギリシア・ローマの文学や哲学で愛された。エフォロスはこの姿を通じてスキタイ人を理想化して描き、キュニコス派は彼を敬って著作を彼の名に帰した。ルキアノスも『アナカルシス、または体育について』と『スキタイ人』という二つの作品で彼を扱い、前者ではソロンを相手に競技の習慣を批判させている。また、教父テルトゥリアヌスも、知性を軽んじる風潮への反論の中で彼の議論を引いている。近世には、1788年に神父バルテルミーが『若きアナカルシスのギリシア旅行』を著し、古典期のギリシアを詳しく紹介した。こうして彼は、異邦人の視点から文明を見つめ直す象徴として長く語り継がれた。

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