HISTORICAL PERSON · 2012年没

アントニオ・タブッキ

イタリアの作家、学者。ポルトガル文学の詩人ペソアの作品を翻訳、紹介した。『インド夜想曲』でフランスのメディシス賞外国小説部門を受けた。

生涯
2012年没
死亡地
ポルトガル共和国(リスボン県 / リスボン)
出生地
イタリア共和国(ピサ)
出典
世界地図
ポルトガル共和国(リスボン県)

伝記

アントニオ・タブッキは、1943年9月23日、イタリアのピサに生まれた作家である。近郊の村ヴェッキアーノにある母方の祖父母の家で育った。大学時代には、母方のおじの図書館で出会った本の著者の足跡を訪ねて、ヨーロッパ中を旅して回った。1960年代、パリを訪れた折、リヨン駅の近くの書籍売り場で、「アルバロ・デ・カンポス」という作家の詩集『煙草屋』を見つけた。この名は、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの異名の一つだった。この本との出会いが、以後20年に及ぶ彼の進路を決定づけた。彼はペソアに魅了され、イタリアに戻ると、詩をよりよく理解するためにポルトガル語を習いはじめた。

リスボンを訪れてから、ファドの町、ひいてはポルトガルという国への愛着が募った。1969年には、卒業論文の題材に「ポルトガルのシュルレアリスム」を選んだ。1970年代にはピサの高等師範学校でポルトガル語とポルトガル文学を専攻し、1973年にはボローニャでその教師となった。同じ年に最初の小説『イタリア広場』を書き上げ、1975年に出版した。トスカーナのアナーキストの事件を、敗者の視点から描いた意欲作である。1978年にジェノヴァ大学に迎えられ、1981年には短編集『逆さまゲーム』、1983年には『島とクジラと女をめぐる断片』を出した。

1984年に代表作『インド夜想曲』を発表した。インドで失踪した友人を捜す主人公が、実は自分自身のアイデンティティを探している物語で、1989年にアラン・コルノー監督によって映画化された。『遠い水平線』(1986年)でも、死体の身元を突き止めようとする主人公が、自分自身を探すはめになる。他者の目から見た鏡像と向き合うことが、彼の作品の主人公たちに共通するのである。1987年に『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』を出し、同じ年に、『インド夜想曲』でフランスのメディシス賞外国小説部門を受けた。1989年にはポルトガル大統領から「エンリケ航海王子賞」を、フランス政府から文化と芸術の賞を授けられた。1992年にはポルトガル語で『レクイエム』を書き、のちイタリア語にして出版した。

1994年には、評価を決定的にした『供述によるとペレイラは…』を出した。主人公は、すべての反民主主義体制から自由を擁護する象徴で、この作品でスーパー・カンピエッロ賞、スカンノ賞、ヨーロッパ文学のためのジャン・モネ賞を受賞した。折しも選挙期間中で、ベルルスコーニへの批判がこの本をめぐって沸き起こった。1995年の映画化では、マルチェロ・マストロヤンニがペレイラを演じた。1997年には、ポルトで起きた首なし死体の事件に基づく『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』を発表した。のちに警察官が殺人の罪で逮捕され、この小説が予言的だったと判明した。

妻マリア・ジョゼ・デ・ランカストレとともに、ペソアの作品をイタリア語に翻訳し、評論も書いた。ペソアの小説やエッセイは、日本を含む18か国で訳されていた。2004年には報道分野での仕事と表現の自由の擁護を認められ、スペインの皇太子の手から賞を授かった。2007年にはベルギーのリエージュ大学から名誉博士号を受けた。一年の半分を妻の生まれ故郷リスボンで、残りを教授を務めるシエナ大学のあるトスカーナで過ごした。「大学教授」と呼ばれることを喜び、作家であることは存在論的な意味でだけだと考えていた。2012年3月25日、病気のためリスボンで亡くなった。

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