伝記
アフマド・ベン・ベラは、1916年12月25日にアルジェリア西部の町マグニアで生まれた政治家で、独立後のアルジェリア民主人民共和国の初代大統領である。生年には、1918年や1919年とする資料もある。農家の生まれで、スーフィー信仰の家系だった。父はモロッコ国籍で、農民の両親は故郷にわずかな土地を持ち、本人のほかに7人のきょうだいがいた。テルムセンで中等教育を受け、17歳でメサリ・ハッジのアルジェリア人民党に加わった。1936年にはフランス軍に志願兵として入った。第二次世界大戦ではフランス軍の下士官、続いて自由フランス軍の兵士としてマルセイユやイタリアの戦線で戦い、戦功十字章や軍事勲章を受けた。モンテ・カッシーノの戦いやローマ解放に加わり、軍事勲章はド・ゴールから直接授けられた。
1945年5月、アルジェリアのセティフでは、独立を求める示威が暴動に発展し、フランス軍の激しい弾圧で多くの死者が出た。ベン・ベラら元軍人は、ナチスと戦った植民地の貢献が解放で報われることはないと悟った。戦後は、地方警察官に応募して登録を拒否され、母のタバコ店の開業も当局に許されなかったことから、植民地支配に反発した。「民主的自由の勝利のための運動」に加わり、1946年に市議会議員に選ばれた。運動が解散させられると地下活動に入り、1949年にオランでの襲撃を組織した。1950年に逮捕されてブリダの刑務所に収監されたが、1952年に脱獄し、スイスを経由してカイロに着いて、ナセルの助けを得た。
1954年にアルジェリア戦争が始まると、民族解放戦線の中心人物としてカイロやリビアに拠点を移し、独立戦争を指導した。1956年10月22日、チュニス発ラバト行きの航空機を乗っ取り、アルジェリアに強制着陸させたが、フランス軍に捕らえられ、1962年まで獄中にあった。この間にアルジェリア共和国臨時政府の副首相に選ばれた。独立後の1962年に、オジダ・グループとともに実権を握り、1963年9月に初代大統領となった。選挙では99.6パーセントの票を得たとされる。産業を国有化し、非同盟運動を積極的に主導して、キューバとともに第三世界の中心的な国となった。1963年にはモロッコとの国境紛争が起き、反政府の反乱も起きた。1964年にはソ連政府から、ソ連邦英雄の称号を授与された。
1965年2月のアルジェでの会議では、チェ・ゲバラがソ連を批判する演説をしたが、その起草にはベン・ベラが関わった。同年6月19日、非同盟諸国首脳会議の直前に国防相ブーメディエンの軍事クーデターで失脚し、1980年まで自宅軟禁に置かれた。ブーメディエン政権の下では、彼の名を口にすることも厳しく規制された。1978年にブーメディエンが死去し、軟禁は解かれて、スイスのローザンヌで約10年間、家族と暮らした。1990年に帰国を許されたが、1991年の議会選挙で自ら結成した政党は2パーセントの票しか得られず、1997年には当局に解党させられた。晩年は、ブーテフリカ大統領の政策を批判し続けた。母語はフランス語で、獄中でアラビア語を習得したとされ、ナセルに会ったときアラビア語で話せなかったことを悲しんだという。2012年4月11日、アルジェの家族宅で亡くなった。
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