伝記
バットス1世は、古代ギリシアの植民市キュレネを建設した人物である。その初代の王であり、アフリカで最初のギリシア人の王、バッティアダイ朝の祖とされる。チョウの一種バットス・フィレノールの名は、彼にちなんでいる。ラケダイモン人バットスとも呼ばれ、ピンダロスによれば生まれたときの名はアリストテレス、ユスティヌスはアリスタイオスという名を伝え、キュレネで没したのち、その名で崇拝されたという。
エーゲ海のテラ島に生まれた。父ポリュムネストスはテラの貴族で、ミニュアイ人のエウペミダイ家に属した。ヘロドトスによれば、キュレネ人は母をフロニメとし、クレタ島のオアクソスの王エテアルコスの娘とする。フロニメは継母に憎まれ、不品行の濡れ衣を着せられた。これを聞いた王は、オアクソスに住むテラ人の商人テミソンに、何事でも頼みを聞くと誓わせ、フロニメを海に投げ込むよう命じた。誓いを果たすためテミソンはフロニメを船に乗せ、綱で海面へ下ろしてすぐ引き上げ、そのままテラへ連れ帰った。フロニメはそこでポリュムネストスの愛人となり、バットスを産んだ。バットスとは古代ギリシア語で「どもり」の意味であり、子どものころ言葉に障害があったためとされる。一方ヘロドトスは、リビアの言葉でバットスは「王」の意だと述べ、リビアに向かうまでこの名で呼ばれなかったと考えている。
紀元前639年ごろ、テラ王グリノスはデルフォイの神託を伺いに島を出た。テラは七年も雨が降らない深刻な干ばつに苦しみ、人口も増えて住民を養えなくなっていた。同行者の一人がバットスだった。巫女は一見無関係な答えを返し、アポロンの助言に従ってリビアに行き都市を建設せよと告げた。王は老いて旅ができず、その役をバットスに任せた。だが二人ともリビアがどこにあるかを知らなかった。テラに戻ると干ばつはさらにひどくなっており、王は人々を再び神託に遣わしたが、巫女は同じことを繰り返した。そこでグリノスはクレタへ人を送り、リビアの住民や、リビアに行ったことのある者を探させた。彼らはイタノスで漁師コロビオスに会った。コロビオスは、かつて流されてリビア沖のプラテア島に着いたことがあると語った。
テラ人はコロビオスに金を払って同行させ、少人数の一行で水先案内をさせてリビアへ向かった。プラテア島に上陸すると、彼を短い間の食料とともに残して島へ帰り、新しい入植地の見つかったことを伝えた。待つうちにコロビオスの食料は尽きかけたが、エジプトへ向かうサモス人の船がコライオスの指揮下で悪天候のためプラテアへ流れ着き、一年分の食料を彼に与えた。この船は東風に阻まれてヘラクレスの柱まで西へ流され、豊かな交易地タルテッソスに着いたという。
テラでは、七つの村からくじで人を選んで新たな一行を送ることになり、王と人々はバットスを指導者に選んだ。キュレネ人の伝えでは、バットスらは五十櫂船二隻で出発した。しかし岸に着いてもバットスは次に何をするか決められず、帰航を命じた。テラへ戻ると、住民は上陸を許さず、港から物を投げつけて引き返せと叫んだ。バットスと二隻の船はもう一度プラテアに渡り、二年間暮らしたが、うまく定着できなかった。一人を島に残してデルフォイへ戻り、神託を再び求めると、巫女は本土に入植せよと勧めた。そこで彼らはプラテアに帰り、アジリスという町を築いた。リビア人とは友好的で、六年間そこで暮らした。
同じ年に亡くなった人物
- バトス3世 (紀元前600)
- Euthymenes (紀元前600)
- アッシュル・ウバリト2世 (紀元前600年代没)
- メディアのハルパゴス (紀元前 600年(推定))
- ロドピス (紀元前 600年(推定))
同じ地域に関係する人物
- ベレニケ2世 (紀元前221年没)
- マガス (紀元前249)
- Battus II of Cyrene (紀元前600)
- Arcesilaus II of Cyrene (紀元前600)
- バトス3世 (紀元前600)