HISTORICAL PERSON · 2013年没

ダグラス・エンゲルバート

アメリカの発明家。初期のコンピュータやインターネットの開発に関わった。

生涯
2013年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / アザートン)
出生地
アメリカ合衆国(ポートランド)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ダグラス・カール・エンゲルバートは、1925年1月30日にアメリカ合衆国オレゴン州ポートランドで生まれた発明家で、初期のコンピュータやインターネットの開発に関わった。9歳か10歳のころに父を亡くし、ポートランド郊外に引っ越した。1942年に高校を卒業してオレゴン州立大学に進んだが、第二次世界大戦の末期に徴兵されて海軍に入り、フィリピンでレーダー技師として2年間働いた。小さな島の高床式の兵舎で、ヴァネヴァー・ブッシュの論文「われわれが思考するごとく」に出合い、強い衝撃を受けたという。この論文を読んだことで、知識を誰でも入手できるようにすることを目標と定めた。戦後は大学に復学し、1948年に電気工学の学士号を得た。

卒業後はアメリカ航空諮問委員会に雇われ、エイムズ研究センターで1951年まで勤めた。その後カリフォルニア大学バークレー校の大学院に進み、1953年に修士号、1955年に博士号を取得している。博士号の取得後もバークレーで助教授を1年務めたが、そこでは自分のビジョンを実現できないと感じて去り、ベンチャー企業を興して記憶装置の研究を商業化しようとした。しかし生涯の課題と決めたビジョンをあきらめきれず、1年で会社をたたんだ。

1957年にスタンフォード研究所(現在のSRIインターナショナル)に雇われた。1962年には、長年温めていた構想を「人類の知性の増強」と題した報告書にまとめて研究を提案した。コンピュータがまだ単なる数値の計算機と見なされていた時代に、対話型のコンピュータを使って集団的な知性を活用することを、ライフワークと捉えていたのである。この提案にアーパから予算がつき、SRI内にオーグメンテイション研究センターを創設して、ビットマップ・スクリーン、マウス、ハイパーテキスト、グループウェア、先駆的なグラフィカル・ユーザ・インタフェースなどを開発した。

1967年にマウスの特許を申請し、1970年に取得した。マウスはその数年前に、エンゲルバートの着想をもとにビル・イングリッシュが設計して作った。木製の装置で、コードが尾のように見えたため「マウス」と名づけられたという。ただし特許は1987年に失効し、パーソナルコンピュータで必須の部品になる前だったため、本人はロイヤルティを受け取っていない。1968年12月9日にはコンピュータ会議で数々の発明を統合した実演を行い、これは「すべてのデモの母」と呼ばれる。さらに研究がアーパから資金を得ていたため、センターはインターネットの前身であるアーパネットにも関与した。1969年10月29日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校から送られた最初のメッセージは、途中でシステムが落ちたため「lo」の二文字だけが届いたという。

1976年ごろからは顧みられなくなり、研究者も離れていった。若い研究者の一部はパロアルト研究所へ移ったが、エンゲルバートがタイムシェアリング型の協調ネットワークを有望と見たのに対し、彼らはパーソナルコンピュータの可能性を追求したがったためである。資金も減り、研究室は民間のタイムシェア社に買い取られたが、さらなる研究の要望は顧みられず、のちに同社を買収したマクドネル・ダグラス社でも十分な資金は得られなかった。1986年に同社を退き、1988年には娘のクリスティーナがブートストラップ研究所を設立した。2000年12月にはクリントン大統領からアメリカ国家技術賞を授与され、2008年12月には「すべてのデモの母」40周年を記念してSRIから表彰された。2013年7月2日に亡くなった。

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