伝記
ピーター・オトゥールは、1932年8月2日に生まれたアイルランドとイギリスにゆかりのある俳優で、重厚なドラマから軽妙なコメディまでこなす演技派として知られた。出生地は本人にも確信がなかったらしく、自伝では8月2日を誕生日として受け入れつつ、イングランドとアイルランドの二通の出生証明書を持っていたと書いている。リーズの登記所に残る記録では、イングランドのリーズにある病院で生まれ、ピーター・ジェームズ・オトゥールと名づけられたとされ、「シェイマス」というミドルネームは後に自ら名乗ったものだという。父パトリックはアイルランド系の金属メッキ工で、サッカー選手や賭け屋もした人物、母コンスタンスはスコットランド出身の看護師であった。
姉とともにリーズ南部のハンスレットで育ち、1歳のころから一家は5年にわたって北イングランドの競馬場の町々を巡った。父のカトリックの信仰のもとで育てられ、第二次世界大戦の初めに疎開して、カトリック系の学校に七、八年通った。学校を出ると地元紙ヨークシャー・イブニング・ポストで見習いの記者兼カメラマンとして働いたが、徴兵されて海軍の通信兵となった。士官に昔からやりたかったことを問われ、詩人か俳優になりたいと答えたという。アマチュア劇団に参加して1949年に初舞台を踏み、除隊後は奨学金を得て、1952年から1954年まで王立演劇学校に通った。ダブリンのアビー劇場の演劇学校には、アイルランド語が話せないという理由で断られていた。同期にはアルバート・フィニーやアラン・ベイツらがいて、本人は「学院史上最も驚くべき学年」と振り返った。
舞台俳優としてシェイクスピア劇を中心に活動し、ブリストル・オールド・ヴィック劇場などで評価を得て、1963年には国立劇場の最初の公演で主役のハムレットを演じた。舞台を降りた私生活では、無頼の暮らしぶりでも知られた。1962年、監督デヴィッド・リーンに抜擢されて『アラビアのロレンス』の主役を演じる。188センチの長身と緑青色の眼が印象的なロレンスが話題を呼び、英国アカデミー賞の主演男優賞を受け、アカデミー主演男優賞に初めてノミネートされた。1968年にはキャサリン・ヘップバーンと共演した『冬のライオン』でヘンリー2世を堂々と演じてゴールデングローブ賞を受け、翌年も『チップス先生さようなら』で同賞を受けた。『ベケット』でもヘンリー2世を演じており、権力者を演じることが多かった。のちに『ラストエンペラー』や、声の出演をしたアニメ映画『レミーのおいしいレストラン』などにも出ている。テレビでは、ミニシリーズ『ジャンヌ・ダルク』の司教役でエミー賞を受けた。
アカデミー賞には計8回ノミネートされながら一度も受賞できず、この記録は演技部門で受賞のない最多ノミネートとされる。第75回アカデミー賞で名誉賞を受けた。2012年7月10日に俳優業からの引退を表明した。1959年に舞台女優のシアン・フィリップスと結婚して娘が二人生まれたが、1979年に離婚した。1975年には腹部の悪性腫瘍で余命わずかと告げられたが、手術で回復した。リチャード・ハリスとは長年の親友で飲み仲間であり、ハリスの死後には、遺族の希望もあって、ハリーポッターシリーズのダンブルドア役の後任候補に名が挙がったが、親友を悼みながら演じるのはつらいと、丁寧に断ったという。2013年12月14日にロンドンの病院で死去した。81歳であった。
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