HISTORICAL PERSON · 2013年没

ローレンス・クライン

アメリカの経済学者。マクロ経済学と計量経済学が専門で、「ケインズ革命」や「計量経済学」を著し、国民経済モデルの国際連結モデルの中心メンバーだった。

生涯
2013年没
死亡地
アメリカ合衆国(ペンシルベニア州 / グラッドウィン)
出生地
アメリカ合衆国(オマハ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ペンシルベニア州)

伝記

ローレンス・ロバート・クラインは、1920年9月14日にアメリカのネブラスカ州オマハで、ユダヤ系の家庭に生まれた経済学者である。父はレオ・バイロン、母はブランシュといった。成長するにつれて、大恐慌などの当時の経済問題に刺激され、ケインズ経済学の出現に興味を覚えた。数学にも関心があり、確立しつつあった経済学の数学的な分析にも引かれた。ロサンゼルス・シティー・カレッジで微積分学を学び、カリフォルニア大学バークレー校に入って、コンピューターによるモデルづくりを学び始め、1942年に経済学の学位を得た。奨学金でマサチューセッツ工科大学の大学院に進み、最初からサミュエルソン教授の助手として研究を進め、サミュエルソンの最初の博士課程の学生として、1944年に博士号を得た。

シカゴ大学のコウルズ委員会に移り、1944年から1947年まで、米国経済のモデルを構築して、景気変動の予測と、政府の経済政策の効果の研究に取り組んだ。第二次世界大戦のあと、復員兵の消費需要が増えるために恐慌ではなく景気の上昇が来ると、大方の予想に反して正しく予測した。1947年にヨーロッパを1年間めぐり、ケンブリッジの経済学者リチャード・カーン、ジョーン・ロビンソン、ピエロ・スラッファらに会った。帰国後、全米経済研究所で鉄道部門の生産関数を推定し、1950年にミシガン大学の講師となって計量経済学を教えた。1951年には6本の方程式からなるクライン・モデルを作り、直近20年の米国経済を概観し、朝鮮戦争後の軽微な景気後退を予測してみせた。研究生とクライン=ゴールドバーガー・モデルも構築した。

1940年代に短期間、共産党に入ったことが、のちに問題になった。1954年、その党員だったことが公になると、マッカーシズムの時代のなかでミシガン大学の終身在職権を拒まれた。平和と学問の自由を求めてイギリスのオックスフォード大学の統計研究所に移り、英国経済のモデルの開発に関わった。1958年に帰国してペンシルベニア大学の教授に就き、1959年にジョン・ベーツ・クラーク賞を受賞した。1960年に計量経済学会の会長を務め、同年の夏には大阪大学の客員教授として日本に招かれ、新開陽一らと大阪大学のモデル作成に参加した。1960年代初めにはブルッキングス・モデルの計画を率い、米国経済の短期の動きを予測する詳細なモデルを作った。同じ時期、ウォートン計量経済予測モデルを作り、これは景気の分析で高い評価を得た。1968年にはウォートン・スクールの経済・金融学の教授となった。

1969年には、予測の会社を設立して、米国の計量経済予測の産業を始めた。イギリスと日本での経験から、国際的なモデルの構築に向かい、各国のモデルを結びつけて、一国の経済の変化が他国に及ぼす影響を示す国際的なリンク計画の発足を主導した。1976年の大統領選挙では、ジミー・カーターの経済チームをまとめた。1977年にアメリカ経済学会の会長を務め、1980年に「計量経済モデルの構築と、経済変動および経済政策の分析への応用」によりノーベル経済学賞を受賞した。2013年10月20日、ペンシルベニア州の自宅で93歳で亡くなった。

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