伝記
ヒュール・バーンリー・ハウザーは、1945年10月18日にアメリカ合衆国テネシー州ギャラティンで生まれたテレビパーソナリティである。俳優、プロデューサー、作家、歌手、声優としても活動した。父はハロルド・チェンバレン・ハウザー、母はジュエル・ハヴェンズ(旧姓バーンリー)で、名のヒュールは両親の名を合わせた造語だと、本人がテレビ番組の中で説明している。
1963年にナッシュビルのユニバーシティ・スクールを卒業し、テネシー大学で歴史学と政治学を学んだ。大学では学生自治会の会長を務めている。その後は海兵隊予備役に服し、上院議員ハワード・ベイカーのスタッフも務めた。テレビの仕事はナッシュビルの局で始め、人間味のある話題を扱う番組を制作した。テネシー大学のためにも、テレビパーソナリティとして働いていた。やがてニューヨークの局で、『リアル・ライフ』という番組の司会を担当した。
1981年にロサンゼルスへ移り、地元局のレポーターとなった。1982年から1983年にかけては、週末の司会兼特派員として情報番組『エンターテインメント・トゥナイト』に出ている。1983年には、PBS系列の公共放送局ケーセットに入り、10分に満たない人間味のある短い企画を並べた『ビデオログ』の司会兼プロデューサーを務めた。番組の合間を埋める枠として始まったが、この放送局の人気番組の一つになり、1990年には30分番組に拡大された。
1991年、休暇をかけてカリフォルニア州を車で巡り、州内に13あるPBS局をすべて訪ねたのち、同年4月に『カリフォルニア・ゴールド』が始まった。この番組は、一般にはあまり知られていない州内の小さな町、名所、催し、見どころを取り上げるもので、ハウザーは訪ねた先の地元の人々と、打ち解けた、しばしば即興のインタビューを行った。ほかにも『カリフォルニアの水』『ロード・トリップ』『パーム・スプリングス』など、多くの番組や特集を制作している。同じ1991年から2012年の引退まで、毎週放送された『訪ねて…ヒュール・ハウザー』では、南カリフォルニアを独特の地域たらしめている多様な人、場所、出来事を紹介した。
自動車クラブの会報誌に記事を書いたほか、1997年にはコメディ番組に本人役で出演した。ポール・ウィリアムズ設計の建物が、ロングビーチ海軍造船所で取り壊されようとしたときには、阻止に向けた運動を先頭に立って進めたが、実現しなかった。2006年の映画では、報道する立場で本人として登場した。2009年にはテレビアニメ『ザ・シンプソンズ』に本人役で出演し、2011年にはディズニーのアニメ映画『くまのプーさん』の、エンドクレジット後の場面で声を務めた。
ロサンゼルスの歴史ある集合住宅に住み、パーム・スプリングスなどにも家を持っていた。2003年にはモハーヴェ砂漠の火山灰丘にある風変わりな家を、人造湖のある土地ごと購入し、2012年6月にチャップマン大学へ寄付している。2012年11月、新しい番組の制作をやめて引退すると報じられた。重い病気ではないかと業界ではささやかれていた。2013年1月7日に死去した。
同じ年に亡くなった人物
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