伝記
ジョー・コッカーは、本名ジョン・ロバート・コッカーといい、1944年5月20日にイングランドのシェフィールドで生まれた歌手である。公務員のハロルド・コッカーの末の子で、「ジョー」という通称は、子供の遊び「カウボーイ・ジョー」にちなむとも、地元の清掃人の名にちなむともいわれる。10代のころにはレイ・チャールズやロニー・ドネガンから音楽的な影響を受けた。初めて人前で歌ったのは12歳のとき、兄のヴィクターに誘われ、兄のスキッフルのグループのコンサートで舞台に立ったときである。1960年に友人3人と最初のグループを組み、学校をやめてガス会社の見習いとして働きながら、パブで音楽活動を続けた。当初はヴァンス・アーノルドという芸名で、1963年には、シェフィールドのホールでローリング・ストーンズの前座を務めている。
1964年、デッカ・レコードからビートルズのカバー曲「ぼくが泣く」でデビューしたが、振るわずに終わった。1966年にクリス・ステイントンと組んでグリース・バンドを結成し、シェフィールドで演奏を重ねたのち、プロデューサーに見いだされてロンドンに出た。1968年にステイントンとの共作「マジョリーン」でA&Mレコードから再デビューし、全英シングルチャートで48位まで上昇した。同じ年に発表したビートルズのカバー「心の友」は全英チャートの1位に輝く大ヒットとなり、イギリスだけでなく、FM放送を通じて他の国々でも脚光を浴びた。のちにポール・マッカートニーは、コッカーの死に際して、この曲を完全にソウルの賛歌に作り変えたと語っている。
1969年にはウッドストック・フェスティバルに出演した。ブルースロック調に編曲した「心の友」の力強い歌唱とエア・ギターのパフォーマンスは、映画を通じて世界の聴衆に強い印象を与え、人気を決定づけた。1970年にはレオン・ラッセルの仕掛けで、大所帯のバックバンドを連ねたアメリカ・ツアーを行った。このツアーは商業的には成功しなかったが、ニューヨークのコンサートを収めたライブ盤は売れた。ただし、ツアーの負債はコッカー一人が負うことになった。ラッセルにも相棒のステイントンにも去られたコッカーは、1972年10月14日、ツアー先のオーストラリアで大麻所持の容疑で逮捕され、48時間以内の出国を命じられた。これに多くのファンが抗議し、大麻の合法化をめぐる議論にまで発展した。
1974年にアルバム「ユー・アー・ソー・ビューティフル」を制作し、翌1975年にはビリー・プレストンのカバーが全米5位になって、再び評価を高めた。一方で、長年の薬物とアルコールへの依存からの脱却を図った。1982年にはジェニファー・ウォーンズとのデュエットで、映画「愛と青春の旅だち」の主題歌「愛と青春の旅だち」を歌い、全米1位を記録した。この曲でアカデミー賞とゴールデングローブ賞の主題歌賞を受け、グラミー賞も得て、大衆的な歌手としての地位を確かなものにした。1994年にはウッドストックの25周年記念コンサートに出演して「心の友」を歌った。2007年から2008年にかけて、功績をたたえられてエリザベス女王から大英帝国勲章(OBE)を授与された。雑誌ローリング・ストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガーでは97位に入っている。2014年12月22日、アメリカのコロラド州クロフォードで、肺がんのため死去した。
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