伝記
ウド・ユルゲンスは、1934年9月30日にオーストリアのケルンテン州クラーゲンフルトで生まれたポップ歌手であり、作曲家である。出生名はユルゲン・ウド・ボッケルマンといい、ピアノの弾き語りのスタイルで歌い、ドイツ語圏で最も成功した歌手の一人とされる。2007年からはスイス国籍も取得した。50年以上に及ぶ経歴のなかで、およそ1,000曲を作曲し、1億400万枚を超えるレコードを売り上げたとされる。
1952年、当時はウド・ボランと名乗っており、クラーゲンフルトでウド・ボラン四重奏団を結成した。市内のカフェに定期的に出演し、ダンス会場やジャズの会場にも出て、ラジオ放送でも演奏した。作曲家としては、1961年にシャーリー・バッシーが歌った世界的なヒット曲「リーチ・フォー・ザ・スターズ」を書いている。
1964年、ユーロビジョン・ソング・コンテストにオーストリア代表として初めて出場し、「どうして、どうして」で6位となった。イギリスの歌手マット・モンローがこの旋律に感銘を受け、マネージャーのドン・ブラックによる英語詞で「ウォーク・アウェイ」として歌い、イギリスで4位、アメリカでも23位に入った。1965年には「彼女に伝えて」で4位となり、3度目の出場となった1966年に、ルクセンブルクで開かれた大会で「メルシー・シェリー」を歌って優勝した。ユルゲンス自身の盤だけで100万枚以上を売り、同年にはドイツ・ヴォーグ社から金のレコードを贈られている。この曲はさまざまな言語に訳されて、多数の歌手に取り上げられた。ユルゲンス本人も、日本語版を含む外国語版を録音している。モンローはほかにも「ウィズアウト・ユー」(1965年にイギリスで上位40位入り)や、1968年の「ザ・ミュージック・プレイド」など、ユルゲンスの曲を英語詞で歌っており、これらはのちにユルゲンス自身も録音した。1960年代には、「ブロンドの17歳」(1965年)、「コットンフィールズ」(1968年)、「マチルダ」(1968年)、「アヌーシュカ」(1969年)などが、ドイツのヒットチャートで上位に入っている。
その後も「ギリシャのワイン」(1974年)や「クリームをつけて」(1976年)などを書き、1978年にはアルゼンチンで、ドイツ代表のサッカー選手たちとともに「ブエノス・ディアス、アルゼンティーナ」を歌った。1977年には、自身のテレビ番組とレコードのために、シュープリームスの3人を招いている。1979年にはディスコ調のアルバムを出し、アルゼンチンでは、ドイツ語圏以外でも最大級の人気を誇った。2007年12月2日には、ハンブルクの劇場でユルゲンスの曲を物語に織り込んだジュークボックス・ミュージカルが開幕している。
日本では、1971年10月に発表された「夕映えの二人」が、翌1972年に大ヒットしたペドロ&カプリシャスの「別れの朝」の原曲として知られる。この曲のシングルは、文化放送の番組で1972年3月13日に最高位15位を記録した。原題は「僕が君に伝えたいこと」を意味し、それはピアノが伝えてくれるという内容の詞である。2014年にはドイツ音楽作家賞の生涯功労賞を受賞した。同年12月21日、スイスのトゥールガウ州ミュンスターリンゲンで亡くなった。80歳であった。
同じ年に亡くなった人物
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