伝記
ジョーン・リバーズ(日本ではリヴァースなどとも表記される)は、本名をジョーン・アレクサンドラ・モリンスキーといい、1933年6月8日にニューヨーク市ブルックリンで生まれたアメリカ合衆国のコメディアン、女優、作家、プロデューサー、テレビ司会者である。女性コメディアンの先駆者の一人とされる。コネチカット大学に2年間在籍したのち、バーナード・カレッジに編入し、1954年に英文学と人類学の学士号を取得して卒業した。1950年代後半には、オフ・ブロードウェイの短編劇に出演し、バーブラ・ストライサンドと共演している。
1960年代の初めから、グリニッジ・ヴィレッジのコメディクラブで活動した。この時期に、のちに著名となるウディ・アレンやジョージ・カーリンと親交を深めている。1961年にはシカゴの即興劇団セカンド・シティの公演でステージデビューした。1963年から1964年にかけては、ジム・コンネル、ジェイク・ホームズとキャバレーの3人組を組み、1964年の映画に出て、これが初の映画出演作となった。1965年にはテレビ番組でギャグライターを務め、出演もした。同年2月17日、ジョニー・カーソンが司会する『ザ・トゥナイト・ショー』に初出演して注目を集め、その後は常連のゲストとなった。カーソンはリバーズの師であり、この番組は彼女の芸風を確立する場になったという。1968年9月には、自身のトーク番組も始まった。
1983年4月9日には『サタデー・ナイト・ライブ』の司会を務め、同年8月、カーソンは彼女を『ザ・トゥナイト・ショー』初の常任ゲスト司会者に起用した。1986年、フォックスは彼女を司会とする深夜のトーク番組を発表し、リバーズは主要なテレビ局で自分の名を冠した深夜トーク番組を持つ初の女性司会者となった。番組は同年10月9日に始まったが、プロデューサーを務めていた夫エドガー・ローゼンバーグの解任をフォックスの幹部が求め、リバーズが異議を唱えた結果、1987年5月15日に夫妻ともに解雇された。同年8月14日、ローゼンバーグはフィラデルフィアで自殺した。この出来事をきっかけに、リバーズは神経性過食症を発症したが、カウンセリングと家族の支えで回復したという。
1987年には、映画『スペースボール』でドット・マトリックスの声を担当し、1989年9月に昼のトーク番組が始まって、1990年にデイタイム・エミー賞の優秀トーク番組司会者賞を受けた。同じ1990年に、QVC向けに宝飾品や衣料品、化粧品のデザインを始め、2014年までに売上は10億ドルを超えた。1994年からは娘メリッサとともに放送局E!の授賞式前夜の特番も担当した。コメディアンのサリー・マールを題材にした舞台では、共同脚本と主演を務め、ドラマ・デスク・アワードの候補になり、トニー賞の主演女優賞にもノミネートされた。
2000年代には『ボストン・リーガル』や『シュレック2』に自身の役で出演し、2010年からはE!のファッション番組の共同司会を、2011年からはメリッサとのリアリティ番組に出演した。2012年に11冊目の著書を出版し、2014年7月には12冊目の著書を出して、同書で2015年にグラミー賞を受賞した。2014年8月28日、マンハッタンのクリニックで軽い喉の手術を受けている最中に重い合併症を起こし、呼吸が止まった。蘇生されて病院に運ばれたが、昏睡状態から目覚めることなく、9月4日に亡くなった。検死官事務所は死因を酸素不足による脳損傷と発表し、連邦当局は11月、クリニック側に不備があったと認めた。
同じ年に亡くなった人物
- ウィリアム・メイヤーズ (2014年没)
- ホセ・エミリオ・パチェーコ (2014年没)
- ジョナサン・ウィリアムズ (レーサー) (2014年没)
- ドミニク・ボーディ (2014年没)
- アブディリザク・ハジ・フセイン (2014年没)
同じ地域に関係する人物
- エヴリン・マクヘイル (1947年没)
- ロスコー・アーバックル (1933年没)
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- マリー=アンヌ・ド・ポルテュガル (1942年没)