HISTORICAL PERSON · 2014年没

パコ・デ・ルシア

スペインのギタリスト。フラメンコとジャズの両分野で活躍し、アルバム『二筋の川』の成功や歌い手カマロンとの共演で名を広めた。

生涯
2014年没
死亡地
メキシコ合衆国(キンタナ・ロー州 / カンクン)
出生地
スペイン王国(アルヘシラス)
出典
世界地図
メキシコ合衆国(キンタナ・ロー州)

伝記

パコ・デ・ルシアは1947年12月21日、スペイン南部アンダルシア地方カディス県の港町アルヘシラスに生まれたギタリストである。本名はフランシスコ・サンチェス・ゴメスで、フラメンコとジャズの両分野で活躍した。五人きょうだいの末っ子で、父アントニオはフラメンコ・ギタリスト、母はポルトガル出身のルシアだった。同じ名の子が多い土地柄、母の名をつけて「ルシアおばさんのパコ」と呼ばれたのが、芸名の由来とされる。

父は幼い彼にギターを教え、5歳のころから非常に厳しく育てて、毎日最長12時間の練習をさせたという。一時は学校をやめさせて、ギターに専念させた。兄のラモン・デ・アルヘシラスと、のちに歌い手となる兄ペペもギターを弾き、パコは父の友人のニーニョ・リカルドやサビーカスから影響を受けた。1958年、11歳でラジオ・アルヘシラスに初めて出演し、同じ年にマラガでサビーカスと初めて会った。翌年にはヘレスのフラメンコ・コンクールで特別賞を受けた。少年期には兄ペペとのデュオで初めて録音し、1960年代の初めには舞踊家ホセ・グレコの一座とともに巡業した。1963年にニューヨークで再会したサビーカスと、初めて出会ったマリオ・エスクデロは、のちに良き師、友人となり、自作の曲を書くよう彼に勧めた。1964年から数年間は、リカルド・モドレーゴまたは長兄ラモンとのデュオで活動した。

1967年に初のリーダー・アルバム『天才』を発表した。そのテクニックは日本でも知られるようになったが、パコは楽譜の読み書きができず、ホセ・トレグロサが楽譜の作成を手伝い、共作者としてもクレジットされた。同じ1967年には、カディス県サン・フェルナンド出身の歌い手カマロン・デ・ラ・イスラと初めての共演盤を出した。共演は1992年のカマロンの死まで続き、10枚のアルバムはフラメンコの歴史でも重要なものとされ、フラメンコに大きな改革をもたらした。1973年のアルバム『二筋の川』は商業的に成功し、収録曲がスペインのヒット・チャートで1位になって、パコの名はスペイン内外に広く知られた。

転機は1977年に訪れた。アル・ディ・メオラのアルバム『エレガント・ジプシー』に参加し、ジャズやフュージョンの愛好家にも認められたのである。1979年にはジョン・マクラフリン、ラリー・コリエルとアコースティック・ギター3本だけのツアーを行い、のちにコリエルに代わってアル・ディ・メオラが加わって、1981年の『フライデイ・ナイト・イン・サンフランシスコ』や1983年の『パッション、グレイス&ファイア』を出した。三人は日本でスーパー・ギター・トリオと呼ばれて親しまれ、1996年にも共演している。1981年には兄ペペ、ラモンとともにパコ・デ・ルシア・セクステットを結成した。1990年にはチック・コリアをゲストに迎えた『シルヤブ』を発表し、1992年のセビリア万博でも演奏した。2004年以降は公演を大きく減らし、年に数回、スペインやドイツ、夏の欧州の音楽祭で演奏する程度だった。

2014年2月25日、滞在先のメキシコで心臓発作により亡くなった。2015年にはマドリード地下鉄の新駅が「パコ・デ・ルシア駅」と名づけられて壁画が飾られ、2016年12月21日には生誕69周年を記念して、グーグルのロゴが彼にちなんだ図柄になった。

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