伝記
アニタ・エクバーグは、1931年9月29日にスウェーデンのマルメで、八人きょうだいの六番目として生まれた女優である。10代のころはファッション・モデルとして働いた。1950年に母に勧められてミス・マルメの大会に出て、雑誌の読者投票で決まるミス・スウェーデンに選ばれた。英語はほとんど話せなかったが、1951年のミス・ユニバースの大会に出るためアメリカへ渡った。当時、この大会はまだ非公式だった。優勝はできなかったものの、6人の最終候補者の一人となり、ユニバーサル・スタジオの新人女優の契約を得た。
契約後は、演技や発声、ダンス、乗馬、フェンシングのレッスンを受けた。『ミシシッピの賭博師』(1953年)や、『凸凹火星探検』(1953年、金星の女の役)に短く出た。しかし、レッスンは何度も怠け、乗馬ばかりしていたといい、のちに撮影所の制度に甘やかされたと認めている。ユニバーサルは半年で彼女を解雇した。豊満な体と派手な私生活は、ゴシップ誌に好まれた。フランク・シナトラやタイロン・パワー、ユル・ブリンナーらハリウッドの大物との交際が報じられ、男性誌にも登場して、1950年代の人気のピンナップとなった。ロンドンのホテルのロビーで服が裂けたという出来事が、写真家との事前の取り決めだったと、本人は認めている。ボブ・ホープとグリーンランドを訪れ、米軍の兵士を慰問した。ジョン・ウェインは、週75ドルで彼女を自分の製作会社と契約した。
映画での最初の台詞のある役は、ウェイン製作の『ブラッド・アレー』(1955年)の小さな役だった。大きな機会は、パラマウントが彼女を起用した『戦争と平和』(1956年)で、ローマで撮影され、オードリー・ヘプバーンらが出演した。ここではヘンリー・フォンダ演じる人物の妻を演じ、一時は「パラマウントのマリリン・モンロー」として宣伝された。その後、『熱砂の舞』や『底抜けコンビのるかそるか』(1956年)、『パリの休日』(1958年)などに出演した。
1959年にイタリアへ渡って時代劇に出演し、そのままローマに残って、フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』(1960年)に出た。マルチェロ・マストロヤンニ演じる主人公にとって手の届かない「夢の女」、グラマーなアメリカの女優シルヴィアの役である。黒いドレスのままトレヴィの泉に入る場面は、映画史に残る名場面といわれ、フェリーニは彼女を「神からの贈り物」と呼んだ。映画は世界的な話題となり、彼女はローマに居を定めた。のちに、『甘い生活』のあとは、どの製作者も同じ役を再現させようとして、仕事が退屈になったと語っている。『ボッカチオ'70』(1962年)などフェリーニの作品に出たが、あまり評価されなかった。1964年に永住の資格を得て、1968年に脱税の容疑で起訴された。1960年代の末からはイタリアのB級作品に数多く出たが、人気は戻らず、1970年代の終わりにはスクリーンから姿を消した。
1987年のフェリーニの『インテルビスタ』では、本人の役で出演した。若いころの自分の姿を見て涙ぐむ、往年とは別人のように太った自分を演じ、やはり本人の役のマストロヤンニと『甘い生活』のダンス場面を再現した。二度の離婚を経験し、晩年はローマ郊外で愛犬と暮らしたが、足を骨折して自力で歩けなくなり、数年間、車椅子と入院の生活を送った。入院中に宝飾品や家具が盗まれ、火事にも遭って経済的に困窮し、2011年12月にフェリーニ財団に支援を求めたと報じられた。2015年1月11日、ローマ南東のロッカ・ディ・パーパで亡くなった。
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