伝記
ライリー・B.キング、通称B.B.キングは、1925年9月16日にミシシッピ州北西部のイッタベーナのプランテーションに生まれたシンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサーである。「キング・オブ・ザ・ブルース」とも称される。幼い頃は小作人として働き、その後ギターを手にして早くから頭角を現した。T-ボーン・ウォーカーやロニー・ジョンソンといったギタリストの音楽のほか、ゴスペルにも触れていたという。子どもの頃には教会でゴスペルを歌った経験があり、その力強い歌声は同時代のブルース・ミュージシャンとの大きな違いになった。1943年に州内のインディアノーラへ移り、3か月後にはテネシー州のメンフィスに移り住んだ。そこでいとこのブッカ・ホワイトにギターの技術を教わった。
やがてメンフィスのラジオ局のDJとなり、メンフィスの目抜き通りにちなんだ愛称「ビール・ストリート・ブルース・ボーイ」が、「ブルース・ボーイ」と縮まり、さらに「B.B.」と略されて芸名になった。1949年にナッシュビルのレーベルで4曲を吹き込んでレコード・デビューし、翌年にはロサンゼルスの会社と契約した。1951年末のシングル「スリー・オクロック・ブルース」がR&Bチャートの1位に達し、以後は数多くのヒットを送り出す存在になった。1964年には後に多くの歌手がカバーする定番となった「ロック・ミー・ベイビー」を発表し、1969年にはロイ・ホーキンズの原曲をリメイクした「スリル・イズ・ゴーン」で、翌年のグラミー賞を受けた。1951年から1985年の間に、ビルボードのR&Bチャートに74回も曲を送り込んだ。
1980年代から2000年にかけては、アルバムのリリースが減る一方、テレビやライブへの出演が増え、ライブは年に300回にも達したという。1988年にはU2と共演した曲が翌年にシングルとしてヒットした。1993年には多くのブルース・ミュージシャンを迎えたアルバム『ブルース・サミット』でグラミー賞を受け、1998年にはキャリアで初のセルフ・プロデュース作品を出して、これもグラミー賞に輝いた。1987年にロックの殿堂入りを果たし、1991年には米国立芸術基金が選ぶナショナル・ヘリテージ・フェローシップにも選ばれた。『ローリング・ストーン』誌が選ぶ最も偉大なギタリストでは2003年に第3位とされた。
愛用のギターには「ルシール」という名をつけていた。1950年代にアーカンソー州のクラブに出演した際、二人の男が喧嘩を始めてストーブが倒れ、店は大火事になった。外へ避難したキングは、アコースティック・ギターを置き忘れたことに気づき、燃え盛る建物に戻ってそれを救い出した。翌日、喧嘩の原因が「ルシール」という女性をめぐる争いだったと知り、自分への戒めとしてギターにその名をつけたのだという。初期の演奏にはT-ボーン・ウォーカーの影響が見られ、本人もそれを認めていたが、やがて、長く伸ばした音を急に絞り込むような独自のヴィブラートとチョーキングを特徴とする奏法を確立した。歌っている間はギターを弾かないことでも知られた。
2015年5月1日、ラスベガスの自宅で在宅介護を受けていると公式サイトなどで表明し、5月14日に89歳で死去した。25日にネバダ州クラーク郡の検視局は、殺人の可能性を含む捜査を行うと発表したが、司法解剖では殺害に当たる証拠は認められず、アルツハイマー病に加えて糖尿病や冠動脈疾患などが複合していたことが明らかになった。
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