伝記
ウェス・クレイヴンは、本名をウェズリー・アール・クレイヴンといい、1939年8月2日にアメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドで生まれた映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。父はポール・ユージーン・クレイヴン、母はキャロラインで、イングランド、スコットランド、ドイツの血を引き、厳格なバプテスト派の家庭で育てられた。1957年から1963年までイリノイ州のウィートン大学で英語と心理学を学んだが、最終学年にギラン・バレー症候群にかかり、卒業が数か月遅れた。回復後はジョンズ・ホプキンス大学で哲学と文章作法の修士号を取っている。
卒業後は、ペンシルベニア州のウェストミンスター大学で英語を教え、ニューヨーク州ポツダムのクラークソン工科大学では人文学の教授を務めた。そのころ中古の16ミリのカメラを買って短編を撮りはじめた。友人のスティーヴ・チェイピンから、ニューヨークの映画制作会社でメッセンジャーを募集していると教えられ、そこで働いていた、スティーヴの兄でのちのフォーク・ロックの人気歌手ハリー・チェイピンと知り合う。映画界での最初の仕事は録音の編集で、のち同社の副支配人となり、1971年の作品で映画編集の仕事にも進出した。クレイヴンは1994年に、ハリーから編集の流儀を教わったと振り返っている。当時盛んだった成人映画の分野でも数年間働いたとされる。のちには、学問から映画に移ったのは人間の暗い面を芸術を通して表現したいという強い欲求があったからだと語っている。
1972年に『鮮血の美学』で監督デビューした。数館でしか上映されないと予想し、そのため「奔放になれる自由を得た」と本人は言うが、実際にははるかに広く上映され、内容のために一時は業界から疎まれた。この経験のあとホラーを離れようとしたが、出資者を得られなかった。友人の助言で砂漠を舞台にしたホラー『サランドラ』(1977年)を書いて撮り、ジャンルでの評価を固めた。1984年には『エルム街の悪夢』で主流の成功を収めた。第1作は脚本と監督を手がけ、第3作では共同で脚本を書いて製作にも加わり、1994年の『エルム街の悪夢 ザ・リアルナイトメア』では再び脚本と監督を務めた。
1996年には『スクリーム』を監督し、ホラーの約束事とユーモアを混ぜ合わせた手法でヒットさせ、シリーズの最初の4作を手がけた(第4作は2011年)。二つの大ヒットシリーズを生み出したほか、『怪人スワンプ・シング 影のヒーロー』『ゾンビ伝説』『壁の中に誰かがいる』『パニック・フライト』『ミュージック・オブ・ハート』などの作品があり、晩年には作品タイトルにその名が冠せられるほどの重鎮として扱われた。1995年にはアメリカのSF・ファンタジー・ホラー映画アカデミーから生涯功労賞を贈られ、2012年にはニューヨーク市ホラー映画祭の功労賞も受けている。ほかにスクリーム・アワードやシッチェス映画祭賞、ファンゴリア・チェーンソー賞なども受けた。
2015年8月30日、脳腫瘍のためロサンゼルスの自宅で亡くなった。76歳であった。没後の2022年に公開された『スクリーム』には、献辞として本人の名が掲げられている。
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