伝記
オリバー・サックスは、1933年7月9日にロンドンのクリクルウッドで生まれたイギリスの神経学者であり、博物学者、科学史家、作家でもある。ユダヤ系の家庭の4人きょうだいの末っ子で、父サミュエルはリトアニア系ユダヤ人の医師、母ミュリエル・エルシー・ランダウはイギリスで最初期の女性外科医の一人だった。母は職場で扱った奇形の胎児を持ち帰り、息子と一緒に解剖して人体の構造を教えたという。1939年12月、6歳のときに兄マイケルとともに空襲を避けてイングランド中部の寄宿学校に疎開し、1943年まで過ごした。この学校では粗末な食事と厳しい体罰に苦しんだと、最初の自伝『タングステンおじさん』に記している。10歳で家に戻ると、叔父デイヴの指導のもとで化学に熱中する少年となり、セント・ポールズ・スクールではジョナサン・ミラーやエリック・コーンと生涯の友情を結んだ。飛行機やオートバイを好み、とりわけオートバイが好きだったという。
1951年にオックスフォード大学クイーンズ・カレッジに入って医学を学び、1956年に生理学と生物学の学士号を得た。さらに1年残って研究に取り組んだものの、指導への失望から抑うつ状態になり、両親の勧めでイスラエルのキブツで肉体労働をして過ごしている。1958年に医学の学位を取り、ミドルセックス病院で働いたのち、カナダ空軍に志願しようとして、頭を冷やすようにと言われたことからカナダ横断の旅に出た。カナディアン・ロッキーで出会った人々にたしなめられ、サンフランシスコのマウント・ザイオン病院で実習をやり直した。1962年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校の神経医学の研修医となり、1965年からニューヨークに住んだ。1966年にはブロンクスのベス・アブラハム病院の顧問神経科医となり、ここで、1916年から1927年にかけて世界で流行した嗜眠性脳炎の後遺症で、何十年も自力で動けずにいた患者たちと出会った。
実験段階の薬だったレボドパで彼らを一時的に覚醒させた経験が、1973年の『レナードの朝』のもとになり、のちに映画化された。英国のテレビ番組の題材にもなり、ハロルド・ピンターは戯曲『いわばアラスカ』(1982年)に仕立てている。ほかに、片頭痛を論じた『サックス博士の片頭痛大全』(1970年)、トゥレット障害や自閉症などと生きる人々を描いた『妻を帽子とまちがえた男』(1985年)がある。この本は1986年にマイケル・ナイマンによってオペラになった。1995年の『火星の人類学者』では、高機能自閉症と診断された学者テンプル・グランディンを取り上げ、全米でベストセラーとなった。著書は日本語を含む21か国語に訳されている。シダ植物の愛好家でもあり、視覚の障害のために幾何学模様の幻覚が見えると、講演で語っている。
アルバート・アインシュタイン医科大学の教授やニューヨーク大学医学部の非常勤教授を務め、2007年7月からはコロンビア大学の教授となり、2008年には大英帝国勲章(CBE)を受けた。2006年12月に右目に黒色腫が見つかり、治療の結果、右目の視力を失った。2015年8月30日、がんのため82歳で亡くなった。ニューヨーク・タイムズは彼を「現代医学の桂冠詩人」と呼んだ。
同じ年に亡くなった人物
- マルビン・ホイットフィールド (2015年没)
- ジェラレアン・タリー (2015年没)
- ボビー・クリスティーナ・ブラウン (2015年没)
- モーゼス・マローン (2015年没)
- 野坂昭如 (2015年没)
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