伝記
ダグラス・セシル・ノースは、1920年11月5日にマサチューセッツ州ケンブリッジで生まれ、2015年11月23日に亡くなったアメリカ合衆国の経済学者である。新制度派経済学を代表する人物で、1993年にロバート・フォーゲルとともにノーベル経済学賞を受賞した。経済史の研究者としては、初めての受賞だった。
父の仕事の関係で、オハイオ州やコネティカット州で教育を受けた。1942年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業し、人文科学の学士号を得た。1942年から1946年までは、第二次世界大戦のため商船員となり、1944年から1946年には天測航法の指導も行った。戦後、博士号を取得する前には、セミプロの写真家としても活動した。1950年にシアトルのワシントン大学の教員となり、1952年にカリフォルニア大学バークレー校で経済学の博士号を取得して、同年に同大学の助教授となった。1971年から1979年は、同大学の経済学部の教授を務めた。1979年にライス大学の教授となり、1981年から1982年にはケンブリッジ大学の教授に迎えられた。1983年から1996年までセントルイスのワシントン大学の教授を務め、1984年から1990年には政治経済学センターの所長を務めた。1987年から1988年には、スタンフォード大学の高等行動科学研究センターの客員フェローとなった。スタンフォード大学のフーバー研究所では、上級研究員も務めた。
もとの専攻は経済史であったが、ロナルド・コースやオリバー・ウィリアムソンらと並んで、新制度派経済学の重要人物と考えられている。コース、ウィリアムソンとともに新制度派経済学の国際学会の設立に尽力し、1997年にセントルイスで初めての学会が開かれた。制度の分析は取引コストなど多岐にわたるが、特に著名なのは、所有権理論への貢献である。経済史の分野でも、歴史上の経済活動のための組織や、経済成長の歴史的な過程を、新制度派の理論で分析する功績を挙げた。その研究の特徴は、歴史研究に新制度派の理論を応用して、経済史と理論を結びつけた点にある。影響は経済学にとどまらず、政治学の新制度論、とりわけ合理的選択制度論にも大きく貢献した。政治学者バリー・ワインゲストとの共同研究では、名誉革命を、主に制度の観点から分析した。
ノースは、大学院時代にはマルクス主義者だったが、のちにソビエト連邦の体制を批判的に分析した。党の幹部は、指令経済の基本的な構造や、目的を達成するためのインセンティブの構造について、きわめて不完全で初歩的な理解しかしていなかったという。ソ連は1950年代に、世界第2位の軍事力と産業力を備えながら、住宅環境は劣悪で、消費財は低品質、村は未開で、原爆はつくれても国民に卵を食べさせることができなかった。ゴルバチョフの改革でも、部分的な改革が繰り返し失敗するなかで、私腹をこやす行為や汚職、暴力的な組織犯罪、地下経済の拡大などにより、国家の凋落が進んだ。ノースは、適応効率性という考え方を示し、不確実性に直面したとき、新しい問題に対する代替案を柔軟に試せる制度構造が必要だと論じた。ソ連はそれと正反対のものであり、柔軟性のない制度には固有の落とし穴があることの証しだった。一方で、そうした柔軟で適応効率的な制度でも、存続する保証はないとも述べている。
1991年にジョン・コモンズ賞を受けた。著作には、『制度・制度変化・経済成果』や、ロバート・ポール・トマスとの共著『西欧世界の勃興』などがある。2015年に、夏の別荘があるミシガン州で、95歳で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- 喬石 (2015年没)
- オマル・シャリーフ (2015年没)
- ウィンデル・ミドルブルックス (2015年没)
- アルナ・シャンバグ (2015年没)
- アルバータ・ワトソン (2015年没)
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