伝記
リチャード・フレッド・ヘックは、1931年8月15日にマサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれたアメリカ合衆国の化学者で、デラウェア大学の名誉教授である。8歳のときにロサンゼルスへ移り、のちにカリフォルニア大学ロサンゼルス校に進んだ。1952年に学士号を取り、1954年にサウル・ウィンスタインの指導のもとで博士号を得た。研究テーマは、アリールスルホン酸エステルの化学であった。その後、スイスのチューリヒ工科大学でヴラディミール・プレログのもとで博士研究員として研究に従事した。
1956年にデラウェア州ウィルミントンのハーキュリーズ・パウダー社に入り、最初は高分子の化学の仕事をしていた。そこで有機金属化学に関心を持つようになり、デイヴィッド・ブレスローとともに、有機コバルトの反応に取り組んだ。これがヘック反応の開発につながった。1960年代の終わりごろから、パラジウムを触媒として、アリール水銀の化合物とオレフィンを結びつける反応を調べ、その成果は、ヘックが単独の著者となった、『アメリカ化学会誌』の7編の連続した論文として発表された。1970年代初めには、溝呂木勉が独立に、毒性の低いハロゲン化アリールを結合の相手として使う反応を報告した。1971年にデラウェア大学の化学・生化学科の教授となり、この反応を改良して、有機合成の強力な方法に育てた。
反応の重要性は、有機合成の世界で他の人々に採り入れられるにつれて高まった。1982年に彼は、既知のすべての例を、有機反応の叢書の一章に、わずか45ページで書き収めることができた。ところが2002年には、分子の内部で起こる反応に限っても、その章は377ページに及んだ。この反応は、炭素と炭素の結合をつくる最も広く使われる方法の一つになり、鎮痛薬ナプロキセンの工業的な製造にも使われている。ヘックの仕事は、鈴木・宮浦カップリング、スティレカップリング、根岸カップリングなど、パラジウム触媒による様々なカップリング反応の土台を築いた。そのなかで社会に最大の影響を与えたのは、アルキンとハロゲン化アリールのカップリングで、蛍光色素をDNAの塩基に結合させるのに使われ、DNAの配列決定の自動化や、ヒトゲノムの解析を可能にした。彼はまた、π-アリル金属錯体を初めて完全に特徴づけ、アルケンのヒドロホルミル化の機構を初めて明らかにした。
1989年にデラウェア大学を退職し、ウィリス・F・ハリントン名誉教授となった。2004年には、その名を冠した毎年の講演が設けられた。2005年にウォレス・カロザース賞、2006年にアメリカ化学会のハーバート・ブラウン賞を受けた。2010年10月6日、スウェーデン王立科学アカデミーは、根岸英一、鈴木章とともに、「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」の業績で、ヘックにノーベル化学賞を授与した。2011年にはグレン・T・シーボーグ・メダルを贈られた。2012年にはマニラのデ・ラ・サール大学の化学科の客員教授となった。退職後は、フィリピンのケソン市で、妻と隠居生活を送っていた。2013年に肺炎で倒れて以来、体力が衰え、2015年10月、マニラの病院で亡くなった。
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