伝記
サー・ハロルド・ウォルター・クロトーは、1939年10月7日にイングランド東部ケンブリッジシャー州の町ウィズビーチで生まれたイギリスの化学者である。生まれたときの名はハロルド・クロトシナーといい、この姓はシレジアのクロトシンに由来する。父方の家族はポーランドの出身で、両親はともにベルリン生まれだった。父がユダヤ人であったため、ナチスから逃れて難民としてイギリスに渡った。第二次世界大戦中は父が敵国人として抑留され、その間はランカシャー州のボルトンで育ち、俳優のイアン・マッケランとは同級生だった。1955年に一家は苗字を縮めてクロトーと改めた。
少年時代はメカノという組み立て玩具に夢中になり、科学技術の腕を磨いた。ユダヤ人社会で育てられたが宗教には興味を持てず、アムネスティ・インターナショナル主義や無神論、ユーモア主義などを自らの宗教と称していた。中等学校で化学、物理学、数学に関心を抱き、六年生のとき化学の教師ハリー・ヘンリーの薦めを受けて、シェフィールド大学に進学した。1961年に化学の学位を、1964年には同大学で博士号を得た。博士論文は光開裂で生じるフリーラジカルのスペクトルの共鳴に関する研究だった。炭素とリンが二重結合で結ばれた化合物を初めて報告するなどした学生時代の研究は、論文にならなかったものも多い。有機化学への関心から出発したが、分光学を知ったことで量子力学にも興味を抱いた。
博士号の取得後は、カナダの国立研究所で2年間、分子分光学を研究し、続いてアメリカのニュージャージー州のベル研究所で量子化学に取り組んだ。1967年にイギリスへ戻ってサセックス大学で教え始め、1975年に教授となり、1991年から2001年までは王立協会の教授を務めた。サセックス大学では、不安定・半安定な化学種の分光学的な研究を中心に、硫黄、セレン、リンなどと多重結合をつくる炭素を含む化合物の新しい化学分野を生み出した。1975年から78年にかけて、グループは長鎖のシアノブタジインやシアノヘキサトリインのスペクトルデータを得て、炭素の化学種が星間空間や赤色巨星の大気に比較的多く含まれていることを、カナダの天文学者らとの共同研究で明らかにした。
1985年、赤色巨星の大気中での化学反応を模した実験室の研究で、凝縮した炭素蒸気の中から安定したC60分子が自発的にできることを、ロバート・カール、リチャード・スモーリーらとともに示した。12個の五角形と20個の六角形からなる、サッカーボールと同じ模様の分子で、ジオデシック・ドームの考案者バックミンスター・フラーにちなんでバックミンスターフラーレンと名づけた。この発見により、1996年にカール、スモーリーとともにノーベル化学賞を受け、同年にナイトに叙せられた。
2004年にサセックス大学を去り、フロリダ州立大学の化学教授となった。1995年にはイギリスで始まったベガの設立に参加し、ノーベル賞の講演や討論、テレビ番組などの質の高い映像を作る活動に関わった。その映像は同団体のウェブサイトから無料で見られる。2009年の設立当初から、横浜サイエンスフロンティア高等学校のスーパーアドバイザーも務めた。2016年4月30日、筋萎縮性側索硬化症の合併症のため、イースト・サセックスで76歳で死去した。
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