伝記
ロジャー・ヨンジェン・チエンは、中国名を錢永健といい、1952年2月1日にニューヨークで生まれた、中国系アメリカ人の生化学者である。育ったのはニュージャージー州のリビングストンで、中国系アメリカ人の家庭の子だった。父は機械技術者で、母方の叔父たちはマサチューセッツ工科大学の工学の教授だった。先祖には、呉越国王の銭弘俶がいる。父の従兄弟には、中国の宇宙開発の父とされる銭学森がいる。自分を分子工学者だと考えており、受け継いだ家系のおかげで、こうした仕事ができるのだと語ったことがある。
子どものころは喘息に悩まされ、家で過ごす時間が長かった。そのため、地下室の自分の実験室で、化学の実験に長時間を費やした。16歳のとき、金属がチオシアン酸とどう結びつくかを調べた研究で、アメリカ全土の高校生が競う科学才能の探求の大会で1位を獲得した。ハーバード大学に奨学金を得て進み、物理学と化学を学んで、1971年にファイ・ベータ・カッパへの入会を認められ、最優等で1972年に卒業した。その後、マーシャル奨学金を得て、イギリスのケンブリッジ大学の生理学研究所に加わり、チャーチル・カレッジで暮らした。1977年に、細胞生理学における有機化学の道具の設計と利用に関する研究で、博士号を取得した。
博士号の後は、ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・ケイアス・カレッジで1977年から1981年まで研究員を務め、1982年から1989年までカリフォルニア大学バークレー校の教員を務めた。1989年からはカリフォルニア大学サンディエゴ校の薬理学と化学・生化学の教授となり、ハワード・ヒューズ医学研究所の研究者でもあった。細胞生物学や神経生物学の分野では、遺伝的にプログラムできる蛍光の標識を見いだして、科学者が生きた細胞の中で分子の振る舞いを、実時間で観察できるようにした。さらにカルシウムイオンなどの蛍光の指示薬も開発し、カルシウムの画像化の先駆者でもあった。
彼の研究室で開発された多色の蛍光タンパク質は、特定の遺伝子がいつ、どこで働くかを追うために使われている。目的のタンパク質の遺伝子を蛍光タンパク質の遺伝子とつなぐと、細胞が適切な波長の光を浴びたときにそのタンパク質が光り、顕微鏡で位置を追える。1995年には、緑色蛍光タンパク質に点変異を入れ、蛍光の強さと光への耐性を大きく改善したと報告し、研究者が使いやすくなった。1995年にガードナー国際賞、2002年にハイネケン賞を受け、2004年にウルフ賞医学部門を受けた。2006年に王立協会の外国人会員に選ばれた。2008年には、マーティン・チャルフィー、下村脩とともに、「緑色蛍光タンパク質の発見と開発」でノーベル化学賞を受賞した。スウェーデン王立科学アカデミーは、彼が緑色以外にも色の幅を広げ、複数の生物学的な過程を同時に追えるようにしたと称えた。本人は電話会見で、自分は中国人の科学者とは考えていないが、賞が中国の学生や科学者の励みになればと語った。
2016年8月24日、オレゴン州ユージーンで自転車に乗っていたときに死亡したと伝えられる。2023年には全米発明家殿堂に選ばれた。
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