伝記
グレン・フライは、1948年11月6日にアメリカ合衆国ミシガン州デトロイトで生まれたミュージシャンであり、シンガーソングライター、ギタリスト、キーボード奏者、俳優である。幼少期はミシガン州のロイヤルオークで過ごした。自動車工場で働く人々の子どもたちと一緒に学校へ通ったと、本人は語っている。レスリングのチームに入るなどスポーツに打ち込む一方、頭の回転が早く、才能のある生徒のための授業にも出ていた。社交的で、エネルギッシュで、少年たちの人気者だったという。ピアノを習ったことがあり、ビートルズのコンサートに触発されて、ギターは独学で覚えていった。
高校時代に最初のバンドを結成し、のちにマッシュルームズという別のバンドにも加わって、1966年にシングルを出した。その後、歌手を志す恋人を追ってロサンゼルスへ移り、1968年にJ・D・サウザーと組んだ二人組、ロングブランチ・ペニーホイッスルで、作曲家として初の本格的な録音を行った。ここでジャクソン・ブラウンとも知り合い、3人は一時期同じアパートで暮らしている。「テイク・イット・イージー」の発想が生まれたのもそこだったとされる。ボブ・シーガーは早くからフライの才能に気づき、1968年にはフライがシーガーのアルバムでギターを弾いた。
フライは、バンドを渡り歩きながら大学にも通おうとしたが長続きせず、やがてロックミュージシャンの溜まり場だったクラブ、トルバドールに出入りするようになる。そこでドン・ヘンリーと出会い、ともにリンダ・ロンシュタットのバックバンドに加わった。1970年に出会い、1971年にイーグルスを結成したとされる。ロンシュタットとマネージャーのジョン・ボイランの助けで、バーニー・リードンとランディ・マイズナーを加え、4人で始めた。フライはイーグルスでギターとキーボード、ボーカルを担当し、ヘンリーとともに、代表曲の多くを作詞作曲した。「テイク・イット・イージー」「テキーラ・サンライズ」「過ぎた事」「いつわりの瞳」「ニュー・キッド・イン・タウン」「ハートエイク・トゥナイト」ではリードボーカルを取った。
グループは1970年代を代表する、史上屈指の売り上げを誇るバンドの一つになったが、人気が高まるとともにメンバーのエゴも膨らんだ。フライとヘンリーが指導者としての地位を固め、よりロック寄りの方向へ進むためにドン・フェルダーを招くと、リードンは脇に追いやられ、1975年に脱退して、ジョー・ウォルシュが代わりに入った。『ホテル・カリフォルニア』で商業的な頂点に達したが、さらに売り上げを求める重圧が緊張を高め、1977年にはマイズナーが去った。生活の乱れもひどくなり、フライの薬物の使用は危ういほどに増えたと資料は述べている。1980年にイーグルスは解散した。
解散後もソロ歌手として大きな成功を収め、1985年の「ヒート・イズ・オン」は映画『ビバリーヒルズ・コップ』の挿入歌となって、全米2位に入った。同年の「ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ」も全米2位で、テレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』で使われ、フライ自身も1984年にこの番組へ出演している。イーグルスのメンバーとしてグラミー賞を6回、アメリカン・ミュージック・アワードを5回受賞し、イーグルス名義とソロ名義を合わせて24曲をトップ40に送り込んだ。イーグルスは1994年に再結成し、1998年にはロックの殿堂入りを果たした。2016年1月18日、リウマチ性関節炎や肺炎による合併症で亡くなった。67歳であった。
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