伝記
ミシェル・モルガン、本名シモーヌ・ルネ・ルッセルは、1920年2月29日にパリ西部近郊のヌイイ=シュル=セーヌで、4人きょうだいの長女として生まれたフランスの女優である。父は香水を扱う輸出会社の海外通信部門の責任者で、母は専業主婦だった。1929年の大恐慌のあとで父が失業し、1933年に一家はディエップに移って食料品店を継いだが、店は2年後に破産した。少女はディエップのカジノでの催しを通じて舞台に目覚め、1935年、15歳で女優になる決心をして、12歳の弟ポールを付き添いに、パリに出てヌイイの母方の祖父母の家に身を寄せた。
撮影所の紹介所を通じて映画のエキストラの仕事を得たのが最初で、監督から演技を学ぶよう勧められると、翌年に演劇学校に入った。1937年にミシェル・モルガンという芸名を名乗り、当時の名優レーミュ主演の映画『グリブイユ』で本格的にデビューした。この映画は成功を収め、同じ年の終わりにはシャルル・ボワイエと共演した作品も撮っている。1938年にはジャン・ギャバンと共演した『霧の波止場』に出た。澄んだ青の、どこか神秘的で遠くを見るようなまなざしは、グレタ・ガルボのそれにたとえられた。ジャック・プレヴェールは、ギャバンの演じる人物が彼女にささやく、映画史で最も有名な台詞の一つを書いた。1977年に出した自伝『その瞳で』の題も、この台詞に由来する。伴侶のジェラール・ウーリーは、美術アカデミーの会員に選ばれたのちの1999年、会員の剣に同じ言葉を刻ませた。1941年には再びギャバンと『曳き舟』で共演して、スターの座に上った。
第二次世界大戦が始まるとアメリカに渡り、戦時中に5本の映画に出演したが、どれもあまり満足のいくものではなかった。1942年にはアルフレッド・ヒッチコックの映画の主役の試験を受けたが、英語が不十分で選ばれなかった。『カサブランカ』の候補にも挙がったが、代理人が高すぎる出演料を求めたため役は得られず、代わりに『渡洋爆撃隊』の役を得たという。アメリカ人俳優ウィリアム・マーシャルと結婚して一男を産んだが、離婚した。1943年にアメリカで出会った画家モイズ・キスリングに肖像を描いてもらったことが、のちに絵画に打ち込むきっかけとなった。
帰国後の1946年、ジャン・ドラノワ監督の『田園交響楽』のゲルトルード役で、第1回カンヌ国際映画祭の女優賞を受けた。1950年代には、ジェラール・フィリップと『狂熱の孤独』(1953年)で共演し、1955年にはルネ・クレール監督の『夜の騎士道』で再び組んで、映画の中で伝説的な一対となり、人気の頂点を迎えた。『ファビオラ』『マリー・アントワネット』(1956年)などにも出演している。出演した映画は70本を超え、観客の投票で10回「最も人気のあるフランス女優」に選ばれた。1970年代以降はほとんど映画に出ず、時折テレビと舞台に出ながら、絵画と詩作に没頭する平穏な生活を送った。絵と素描は700点ほどに及ぶ。1969年にレジオンドヌール勲章、1992年にセザール賞の名誉賞、1996年にヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を授与された。2016年12月20日、生まれた町のヌイイ=シュル=セーヌで亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
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