伝記
アレクセイ・アレクセーエヴィチ・アブリコソフは1928年6月25日、モスクワに生まれたロシア出身の物理学者である。ロシアで名高いアブリコソフ家の出で、曽祖父は製菓会社を興し、会社は1899年に皇帝ニコライ2世の宮廷の御用達となった。父は著名な病理学者で、ソ連医学アカデミーの副総裁を務め、レーニンの遺体の解剖にも関わったとされる。母は父の教え子で、クレムリン病院の主任解剖医だった。日本に亡命していた外交官の叔父がいたことは、本人が晩年になるまで知らなかったが、そのためにKGBの命令でソ連の核開発計画には加われなかったという。叔母のアンナは、カトリックに改宗して修道女となり、シベリアに流された人物で、アレクセイは1993年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世へ手紙を書いて、叔母の境遇を訴えた。
ナチス・ドイツの侵攻を避けて一家が移ったカザンのリセを1943年に卒業し、モスクワのエネルギー工学の学院に進んだが、1945年にモスクワ大学へ移った。1948年に同大学の物理学部を最優等で卒業し、その年から1965年まで、ソ連の科学アカデミーに勤務した。1947年にはレフ・ランダウの弟子になるための難しい試験に合格し、プラズマ中の熱の拡散に関する研究で、1951年に学位を得た。ソ連の核開発に直結する研究だったという。母がユダヤ人であることが当初は障害になったが、母がモンゴル人民共和国の指導者チョイバルサンの遺体を解剖した経歴が有利に働き、KGBもランダウの申し出を受け入れた。こうして、世界でも名高い理論物理学の集まりに加わった。
研究者としての出発点は超伝導で、実験家のニコライ・ザヴァリツキーとともに、超伝導の理論の予言を実験で確かめる仕事に取り組み、超伝導体に二つの種類があることを示した。彼の名を冠した「アブリコソフ格子」(アブリコソフ渦糸)や「アブリコソフ・スール共鳴」は、のちの研究の成果である。1953年から1955年にかけては、ランダウ、イサーク・ハラトニコフと場の量子論に重要な成果をあげ、当時の理論の行き詰まりを明らかにした。1954年に発表した論文で作られた新しい計算法は、のちの研究で使われた。1960年代からは金属や半金属、半導体を専門とした。ランダウが1962年に亡くなると、1965年にゴルコフ、ジャロシンスキー、ハラトニコフらとともに、その遺志を継いでランダウ理論物理学研究所を設立した。1988年まで金属理論部門を率い、のちには、モスクワ近郊のトロイツクにある高圧物理学研究所の所長も務めた。
1972年にフリッツ・ロンドン記念賞を受け、1975年にはローザンヌ大学から名誉博士号を贈られた。ソ連が崩壊した1991年にアメリカへ移り、アルゴンヌ国立研究所で物質の理論を研究し、1999年にアメリカ国籍を取得した。2003年、「超伝導と超流動の理論に関する先駆的貢献」により、ヴィタリー・ギンツブルク、アンソニー・レゲットとともにノーベル物理学賞を受賞した。著書に『統計物理学における場の量子論の方法』『金属物理学の基礎』があり、いずれも日本語に訳されている。2017年3月29日、カリフォルニア州パロアルトで亡くなった。
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