伝記
ケネス・ジョセフ・アローは、1921年8月23日に生まれ、2017年2月21日に没したアメリカ合衆国の経済学者である。20世紀の経済学史上の最重要人物の一人とされ、経済学全般で革命的な論文を書き、社会学や政治学など他の学問にも影響を与えた。1972年、51歳という当時の史上最年少でノーベル経済学賞を受賞し、1973年にはアメリカ経済学会の会長を務めた。
ニューヨーク市に、ルーマニアのヤシ出身のユダヤ人の母と、ヤシの近くの町の出身の父の間に生まれた。タウンゼンド・ハリス高校を1936年に卒業し、ニューヨーク市立大学シティカレッジで数学を学んで1940年に卒業した。1941年にコロンビア大学で修士号を取得し、統計学者で経済学者のハロルド・ホテリングの影響を受けた。第二次世界大戦中の1942年から1946年は、米陸軍航空隊の大尉として気象士官を務めた。戦後はコロンビア大学とシカゴ大学のコウルズ委員会で研究を続け、1948年から1949年にシカゴ大学の助教授となった。1949年から1968年はスタンフォード大学に勤め、のちに経済学、統計学、オペレーションズ・リサーチの教授になった。1951年にコロンビア大学から博士号を得た。1957年には、アメリカ経済学会からジョン・ベイツ・クラーク賞を受けた。
1968年から1979年にはハーバード大学の経済学教授を務め、1972年にジョン・ヒックスとともにノーベル経済学賞を受賞した。1980年にスタンフォード大学の教授に戻り、のちに名誉教授となった。1986年にジョン・フォン・ノイマン理論賞を受け、2004年にはアメリカ国家科学賞を授与された。2017年に、カリフォルニア州パロアルトの自宅で亡くなった。
業績は、経済学の理論的基礎から応用分野まで幅広い。博士論文でもある『社会的選択と個人的評価』は、経済学の一分野としての社会選択論を事実上創設した。この論文の帰結が、「アローの不可能性定理」として知られる。社会の構成員一人ひとりの選好から、社会として合理的な選好を決めようとするとき、アローは、合理的であるための制約条件を四つ挙げた。これらを満たす社会的選好が見つかれば、それはある一人の構成員の選好と一致してしまい、その社会は独裁制にならざるをえないことを、数学的に証明した。一般均衡理論では、のちにノーベル経済学賞を受けたジェラール・ドブルーとともに、限定的な仮定のもとで市場の均衡が存在することを、初めて厳密に証明した。続いて、不確実性の問題や均衡の安定性、競争均衡の効率性の問題を扱うために、このモデルを拡張した。1950年代には、宇沢弘文やレオニード・ハーヴィッツと、線形計画法や非線形計画法を経済学に応用する研究も行った。
さらに、経済成長の主要因である技術の変化の源泉を説明しようとした、内生的成長理論の始動を助けた。それまで技術の変化は外から与えられると仮定されていたが、この理論は、企業がなぜ革新を行うのかを説明した。市場における情報の非対称性が引き起こす問題についても研究し、医療の分野で分析した。経済学者の中谷巌は、1950年代から1960年代の理論経済学会は、アローの業績を軸として動いていたと述べている。
同じ年に亡くなった人物
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