HISTORICAL PERSON · 2017年没

エフゲニー・エフトゥシェンコ

ソ連・ロシアの詩人。自由への欲求を大胆に表現した叙情詩で圧倒的な人気を得た。1961年の詩「バビ・ヤール」でユダヤ人迫害への無関心を告発し、ショスタコーヴィチが交響曲に用いた。

生涯
2017年没
死亡地
アメリカ合衆国(オクラホマ州 / タルサ)
出生地
ロシア連邦(ジマ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(オクラホマ州)

伝記

エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・エフトゥシェンコは、1933年7月18日に生まれ、2017年4月1日に没した旧ソビエト連邦・ロシアの詩人である。小説家、随筆家、劇作家、脚本家、俳優、編集者、大学教授でもあり、いくつかの映画の監督も務めた。

シベリアのイルクーツク州にある小さな町ジマで、貴族の血を引く家に生まれた。出生時の姓はガングヌスで、のちに母の姓のエフトゥシェンコを名乗った。ロシア、バルト・ドイツ、ウクライナ、ポーランド、ベラルーシ、タタールなど、さまざまな出自を持った。父方の祖先は、1767年にロシア帝国へ移ったドイツ人で、祖父は数学教師だった。母方の曽祖父は貴族で、農民の反乱の指導者として家族ごとシベリアに流刑となった。二人の祖父は、1937年のスターリンの粛清で、「人民の敵」として逮捕された。両親はともに地質学者で、母は後に歌手になった。1948年に父に同行してカザフスタンの地質調査に、1950年にはシベリアのアルタイに行った。両親は彼が7歳のときに離婚し、母に育てられた。10歳までに最初の詩を作り、1948年、15歳のとき投稿した詩がスポーツ誌に採用された。それ以来、学業を捨てて詩の道に専心した。

第二次世界大戦の後はモスクワに出て、1951年からゴーリキー文学大学で学んだ。1952年に処女詩集を発表し、ソ連作家同盟にも加わった。大学は1954年に中退したともいわれ、スターリン批判の衝撃の直後の1957年に「個人主義」を理由に退学処分になったともいわれる。1955年の第2詩集『第三の雪』以降、自由への欲求を大胆に表現した叙情詩で、圧倒的な人気を得た。ボリス・パステルナークやカール・サンドバーグ、ロバート・フロストも、彼の初期の作品をほめた。

1961年、彼はスターリンの批判が進む雪解けの時代に、詩「バビ・ヤール」を書いた。バビ・ヤールとは、ウクライナのキエフにある峡谷の地名で、1941年にナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺した場所である。詩は、虐殺をめぐるソ連の歴史の歪曲と、ソ連に広く残る反ユダヤ主義を告発し、ユダヤ人迫害に対するソ連の無関心を非難した。詩は有力な新聞に載って広く流通した。作曲家のショスタコーヴィチは、この若い詩人に感銘を受け、1962年に「バビ・ヤール」とエフトゥシェンコの他の4つの詩を歌詞に取り入れた、合唱付きの交響曲第13番を作曲した。ショスタコーヴィチは、毎朝、祈りの代わりにエフトゥシェンコの二編の詩を読み返すか、暗唱すると述べたという。

1961年10月の党大会でスターリンが公に批判されると、彼は雑誌の編集委員会に加わることを許され、1962年10月にはキューバに特派員として送られた。1962年には、スターリン主義とその遺産がなお国を支配していると訴える詩「スターリンの後継者たち」を書いた。この詩は、10月21日に「プラウダ」に載ったが、その後四半世紀にわたって再び発表されず、ゴルバチョフの時代にようやく再刊された。

2017年4月1日、四番目の妻がロシア語を教えている、アメリカ合衆国オクラホマ州タルサの病院で、心不全のため亡くなった。モスクワ市のペレデルキノ共同墓地に葬られた。

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