伝記
ジョナサン・デミは、本名をロバート・ジョナサン・デミといい、1944年2月22日にニューヨーク州ボールドウィンで、広報の幹部であった父ロバート・ユージーン・デミと母ドロシー・ルイーズの子として生まれたアメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサー、脚本家である。映画監督のテッド・デミは甥にあたる。ロックビル・センターとマイアミで育ち、マイアミの高校を卒業してフロリダ大学で獣医学を学んだが、自分の能力に限界を感じて中退した。在学中に学内新聞で映画評を書いた経験を生かそうと、地方新聞の職を得たが、父の紹介で映画会社の宣伝担当となり、数年間働いた。この仕事を通じて低予算映画のプロデューサーであるロジャー・コーマンと出会い、1971年から1976年までその下で働いた。
初期はプロデュースや共同脚本に携わり、モーターサイクルを題材にした映画を共同で書いて製作したほか、コーマンが設立した低予算の独立系製作会社ニューワールド・ピクチャーズで、1974年に女囚ものの『女刑務所/白昼の暴動』で監督デビューした。1976年の『怒りの山河』まで、ここで3本の映画を撮っている。その後、パラマウントで喜劇を撮って、批評家の評判は良かったが宣伝が乏しく、興行は振るわなかった。1978年にはテレビの『刑事コロンボ』の一話も監督している。1980年の『メルビンとハワード』は広く公開されなかったが批評家の称賛を集め、ニューヨーク映画批評家協会賞の監督賞を受けた。この作品は3部門でアカデミー賞にノミネートされ、助演女優賞と脚本賞の二つを受賞している。
この評価を受けて撮った1984年の『スイング・シフト』は、デミと主演女優の構想が食い違って製作が難航した。完成品を本人が認めず、公開されると批評家に酷評され観客にも顧みられなかった。その後はハリウッドから一歩退いて、トーキング・ヘッズのライブ映画『ストップ・メイキング・センス』(1984年)を撮った。史上最高の音楽ドキュメンタリーの一つとして現在でも高く評価される作品である。さらに『サムシング・ワイルド』(1986年)、独白劇を映画化した作品、『愛されちゃって、マフィア』(1988年)と続けた。1987年にはプロデューサーらと自分の製作会社を設立し、15年間ニューヨークを拠点とした。
1991年公開の『羊たちの沈黙』で、ベルリン国際映画祭の監督賞とアカデミー監督賞を受賞した。作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞の主要5部門を制した3本の映画の一つであり、ホラー映画としては唯一のアカデミー作品賞受賞作となる。友人がエイズで苦しんだことに触発されて撮った『フィラデルフィア』(1993年)は、エイズ危機を扱った初期の大作の一つで、主演のトム・ハンクスが初のアカデミー主演男優賞を受賞した。ブルース・スプリングスティーンの主題歌の映像は、甥のテッドと共同で監督している。以後も『愛されし者』(1998年)や、1960年代の映画を作り直した『シャレード』(2002年)と『クライシス・オブ・アメリカ』(2004年)などを撮った。
ドキュメンタリーも10本以上撮っており、2007年の元大統領ジミー・カーターの宣伝旅行を追った作品はヴェネツィア国際映画祭でバイオグラフィルム賞を受けた。『羊たちの沈黙』のインパクトが強すぎて、低迷期には一発屋と揶揄されることもあったが、2008年の『レイチェルの結婚』は評価を受け、主演のアン・ハサウェイがアカデミー主演女優賞にノミネートされた。2017年4月26日、食道がんと心臓病の合併症により死去した。
同じ年に亡くなった人物
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