伝記
ジグムント・バウマンは、1925年11月19日、ポーランド西部のポズナニに貧しいユダヤ人の家に生まれた社会学者である。第二次世界大戦が始まると、一家そろってソビエト連邦に逃れた。1943年にソ連の影響下にあるポーランド人民軍に入り、部隊の政治委員から大尉、少佐へと昇進して、ソ連軍のベルリン侵攻にも従軍した。戦後はポーランド労働者党の党員となり、ワルシャワ大学で社会学を学び始めたが、1953年に反ユダヤ主義が高まるなか、軍から強制的に除隊された。翌1954年に博士号を取得するとともに、ワルシャワ大学哲学・社会科学部の講師に着任した。1961年から雑誌『社会学研究』の編集長を務め、1966年にはポーランド社会学協会の理事長に就任した。
1967年に六日戦争が起こると、これをきっかけに親イスラエルで、海外の敵対勢力に協力しているという嫌疑をかけられた。反シオニストであることを自ら示すために統一労働者党の党員証を返したが、翌1968年に、ポーランドの青年に反動的な影響を与えて堕落させたという理由で、ワルシャワ大学を解雇された。そのためポーランドを離れ、イスラエル、カナダ、アメリカ、オーストラリアを経て、イギリスに至り、1971年にリーズ大学の社会学教授に就いた。1990年には同大学の名誉教授となり、ワルシャワ大学の名誉教授でもあった。
「立法者と解釈者」「造園管理人と猟場番人」「固定化と液状化」といった比喩を巧みに使って、現代のポストモダン社会を考察し、多言語を操る知識人として知られる。1987年の『立法者と解釈者』は、近代とポストモダンと知識人を論じ、1989年の『近代とホロコースト』は、近代そのものとホロコーストの関係を問うた。2000年の『リキッド・モダニティ』は、液状化する社会を論じ、のちに『リキッド・ライフ』『液状不安』などの「液状」の連作が続いた。『グローバリゼーション』『個人化社会』『廃棄された生』『幸福論』など、多くの著書が日本語に訳され、2016年の『自分とは違った人たちとどう向き合うか』は、難民問題から考察した本である。1998年にテオドール・アドルノ賞、2011年にコミュニケーション及びヒューマニズム部門でアストゥリアス皇太子賞を受けた。アントニオ・グラムシ、ゲオルク・ジンメル、テオドール・アドルノ、ハンナ・アーレントらの影響を受けた。2017年1月9日に91歳で死去した。死因は不詳である。
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