伝記
ヒュー・マーストン・ヘフナーは、1926年4月9日にアメリカのシカゴで生まれた実業家で、雑誌『プレイボーイ』の発刊者である。愛称は「ヘフ」。会計士の父グレンと、教師だった母グレースの最初の子で、両親はネブラスカ州の出身だった。弟のキースがいる。母はスウェーデン系、父はドイツ系とイギリス系で、一家は「保守的で中西部的な、メソジスト」だったと本人は述べている。母は彼を宣教師にしたがっていた。小学校と高校を卒業したあと、1944年から1946年まで、アメリカ陸軍で軍の新聞の書き手として軍務に就いた。イリノイ大学に進み、心理学を専攻して、2年半で学位を取得した。1949年の夏、高校時代から交際していたミルドレッド・ウィリアムズと結婚し、同年に入ったノースウェスタン大学では、学内の情報誌を編集した。
1951年1月に『エスクァイア』へ就職してコピーライターを務めたが、昇給の希望が通らず、1952年1月に退職した。1953年、600ドルの借り入れと、45人の投資家から集めた8000ドルを元手にして、『プレイボーイ』を創刊した。この資金の中には母の1000ドルが含まれ、母は事業を信じたのではなく、息子を信じたからだと、のちに本人が語っている。同年12月に出た創刊号は、マリリン・モンローの写真を中綴じの口絵に起用したことなどが評判となり、5万部以上が売れた。ヘフナーはモンローに会ったことはなかったが、1992年に、彼女の墓の隣の墓所を7万5000ドルで買っている。同誌は、女性のヌードグラビアと読み応えのある記事、有名人の長いインタビューを売り物にして、アメリカだけでなく世界的に評価され、各国で現地版が発刊されるとともに、数多くの模倣を生んだ。1960年代には、人種的に多様な会員制のクラブを開き、公民権運動のさなかの1966年には、アレックス・ヘイリーを送り出して、アメリカ・ナチ党の創設者にインタビューをさせた。
会社はクラブの経営など事業を多角化し、ヘフナー自身も『プレイボーイ』の「顔」として、多くのプレイメイトとともに各種のメディアに現れた。1963年6月には、女優の写真を載せた号のために、わいせつな出版物を広めたとして逮捕されたが、裁判では陪審の意見がまとまらなかった。1985年、59歳で軽い脳梗塞を患ったことから、私生活を改め、派手な暮らしを止めた。1988年に、娘のクリスティーが社の最高経営責任者に就任し、経営の第一線から身を引いた。それでも晩年は邸宅で多数の女性と暮らし、『プレイボーイ』の「哲学」を体現する生活を続けた。
ミルドレッドとの間にクリスティーとデイビッドの2人の子がいたが、1959年に離婚した。1989年にプレイメイト・オブ・ザ・イヤーのキンバリー・コンラッドと再婚し、2人の子をもうけたが、1998年に別れて、2010年3月に正式に離婚した。2012年12月31日には、クリスタル・ハリスと結婚した。映画やテレビに本人役でたびたび出演し、ハリウッドの星形の歩道にも名を残した。2017年9月27日、ロサンゼルスの自宅で、91歳で息を引き取った。自然死で穏やかな最期だったという。
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