伝記
麻原彰晃、本名松本智津夫は、1955年3月2日に熊本県八代市で生まれた。宗教団体「オウム真理教」を創設して教祖となり、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など、国家転覆を最終目標とする一連の犯罪を教団に起こさせた人物である。
生家は畳店を営む職人の家で、男6人女3人の9人きょうだいの第七子、四男であった。先天性の緑内障のため、生まれつき左目はほとんど見えず、右目の視力は1.0程度だった。12歳年上の長兄は全盲、五男も弱視であった。畳の需要が落ちて生活は苦しく、両親は働きづめで、智津夫は兄や姉を親代わりに育った。1961年に地元の小学校に入ったが、視覚障害を理由に同じ年の秋から熊本県立盲学校に移り、寄宿舎で暮らした。全盲の兄と違い目が見えたのに、学費や寄宿舎代が不要な盲学校に入れられたことで、親に捨てられたと感じて不満をぶつけたという。卒業までの13年間、両親が訪ねてくることはなかったとされる。
盲学校では強い権力欲を見せ、目が見えることを利用して他の生徒を子分扱いにし、金を巻き上げ、同級生への恐喝で卒業までに300万円を貯めたと伝えられる。一方、高等部の担任だった教師は、明るく活発で、遠足では見えない子の手を引いていたと述べており、証言は食い違う。演劇を好み、『みにくいアヒルの子』で主演した。熊本大学医学部を志したが、当時は視覚障害者が医師免許を取れなかったため断念した。柔道に打ち込み、1975年に講道館の二段を取った。鍼灸の免許も取り、毛沢東や田中角栄に傾倒して、東京大学を出て政治家となり、首相の座に就くことを志すようになった。同年3月、20歳で盲学校を卒業した。
東京大学の受験を目指して上京したが、実家に戻るなどして、受験は3度諦めた。1978年に代々木ゼミナールで知り合った石井知子と結婚し、千葉県船橋市に鍼灸院を開いた。のちに漢方薬局を営んだが、病気の人を完治させられないことに悩み、四柱推命などの占術や漢方、仙道を経て宗教に近づき、1980年8月に阿含宗に入信した。1980年7月には保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を求められている。1982年には無許可の医薬品を販売したとして薬事法違反で逮捕され、20万円の罰金刑を受けた。
1983年に阿含宗を脱退し、渋谷に能力開発の学習塾を開いて、名を麻原彰晃と改めた。翌1984年にヨガ道場「オウムの会」とし、株式会社オウムを設立した。1985年には、神奈川県の三浦海岸での修行中に啓示を受けたと称し、秋には空中浮揚したとする写真が雑誌に載った。1986年4月に「オウム神仙の会」と改称し、7月にヒマラヤで最終解脱をしたと称した。すでにこのころ、武力と超能力を使って国家を転覆することも計画していると語っていたという。教団内の地位は尊師で、のちに省庁制では神聖法皇となった。1995年5月16日、地下鉄サリン事件の首謀者として逮捕された。拘留中は奇行が増え、意思疎通が困難になったとされる。2000年にオウム真理教は「アレフ」に改組された。2006年に死刑が確定し、2018年7月6日に刑が執行された。検察は、わが国の犯罪史上最も凶悪な犯罪者というしかないと評している。
同じ年に亡くなった人物
- M・カルナーニディ (2018年没)
- ワンダ・ウィウコミルスカ (2018年没)
- Wenceslao Selga Padilla (2018年没)
- テオドール・ホフマン (軍人) (2018年没)
- リス・アシア (2018年没)