伝記
ドロレス・マリー・アイリーン・オリオーダンは、1971年9月6日にアイルランドのリムリック県バリブリッケンで生まれたミュージシャンである。ロックバンド、クランベリーズのリードシンガーとして知られ、ソロ歌手としても活動した。労働者階級のカトリックの家庭で、9人きょうだいの末子として生まれ、兄姉のうち2人は子どものころに亡くなっていた。父テレンス・パトリック(テリー)は農場で働いていたが、1968年のオートバイ事故で脳に損傷を負った。母アイリーンは学校で食事を用意する仕事に就いていた。母が聖母マリアの「悲しみの聖母」にちなんで名づけたという。
話す前から歌っていたといわれ、5歳のときには、校長が上級の教室へ連れて行き、先生の机に座らせて歌わせたという。アイルランドの伝統音楽に親しみ、ティン・ホイッスルも吹いた。7歳のとき姉が誤って家を焼いてしまい、地域の人々が資金を集めて、一家に新しい家を買ったという。教会の聖歌隊でソロを歌い、10歳のころには、叔父たちに連れられて地元のパブでも歌っていた。資料は、8歳から4年間、信頼していた人物から性的な虐待を受けたと伝えており、ジャーナリストは、のちの楽曲の主題の源流にこの経験があるのではないかとみている。
12歳でリムリックの女子校に入り、初日に同級生の前で「私はドロレス・オリオーダン、ロックスターになる」と宣言し、椅子の上に立って歌ったという。ピアノを習い始め、17歳でギターを覚えて、学校でソロのコンサートを開いた。同じ年に最初の恋人と出会っている。やがて高校を離れ、1990年にクランベリーズに加わった。ほどなく世界的な名声を得て、豊かな歌声と、ヨーデルのような独特の歌い方、リムリックの強い訛りで知られるようになった。
クランベリーズとしては、1993年の『みんながやっているのに、なぜ私たちはだめなの』、1994年の『ノー・ニード・トゥ・アーギュ』、1996年、1999年、2001年の作品などを発表し、生前に7枚のスタジオ・アルバムを出した。そのうち4枚は1位を獲得している。2003年から6年ほど活動を休み、2007年に最初のソロ・アルバム『アー・ユー・リスニング?』を、2009年に『ノー・バゲージ』を出した。同年にバンドへ戻り、2012年のアルバムを出して世界ツアーも行った。2013年から14年にかけては、アイルランドの放送局の歌番組で審査員を務め、2014年4月には三人組のD.A.R.K.に加わって、新しい曲の録音を始めた。
一方で、うつ病や成功の重圧と闘い、2015年には双極性障害と診断された。バンドは2017年にも新作を出している。2018年1月15日、録音のためロンドンに滞在していたところ、宿泊先のホテルの浴室で死亡しているのが見つかった。目立った外傷はなく、血中から処方薬以外の成分は検出されなかったが、基準値の4倍を超えるアルコールが検出され、死因は急性アルコール中毒による溺死とされた。アイルランドのマイケル・D・ヒギンズ大統領は、音楽界にとって大きな損失だと声明を出した。翌年、最後の録音を収めたアルバムが出て、バンドは解散した。クランベリーズのアルバム売り上げは、全世界で4,000万枚を超えると伝えられる。
同じ年に亡くなった人物
- スタン・リー (2018年没)
- リス・アシア (2018年没)
- トマス・マルドナード (2018年没)
- ポール・マデリー (2018年没)
- アンリ・ミシェル (2018年没)
同じ地域に関係する人物
- ルーファス・アイザックス (初代レディング侯爵) (1935年没)
- アンソニー・コリンズ (1729年没)
- ジョン・ドロンド (1761年没)
- ヘンリー・グレイ (初代サフォーク公爵) (1554年没)
- ジョージ・バック (1878年没)