HISTORICAL PERSON · 2018年没

アーロン・クルーグ

リトアニア生まれの物理化学者。ケンブリッジ大学でタバコモザイクウイルスの構造を発見し、1982年にノーベル化学賞を受賞した。

生涯
2018年没
死亡地
イギリス連邦(ケンブリッジシャー / ケンブリッジ)
出生地
リトアニア共和国(ジェルヴァ)
出典
世界地図
イギリス連邦(ケンブリッジシャー)

伝記

アーロン・クルーグは、1926年8月11日にリトアニアで生まれ、2018年11月20日にケンブリッジで亡くなったユダヤ系の物理化学者である。のちにイギリスと南アフリカで活躍し、英国籍を持った。1982年に、電子線結晶学の開発と、核酸とタンパク質の複合体の立体構造の研究により、ノーベル化学賞を受賞した。

リトアニアのジェルヴァで、ユダヤ人の両親、牧畜業を営む父ラザールと母ベラのもとに生まれた。誕生の直後、2歳のころに、一家は南アフリカのダーバンに移った。ポール・ド・クライフの『微生物の狩人』を読んで、微生物学に関心を抱いた。南アフリカでは、ユダヤ人の青年運動に参加した。ヨハネスブルクのウィットウォーターズランド大学で化学を修め、ケープタウン大学で結晶学を学んだのち、イギリスに渡り、1953年にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで博士号を取得した。南アフリカでは差別に直面したという。

学位を得た1953年の終わりに、ロンドン大学のバークベック・カレッジに移り、結晶学者のジョン・バナールの研究室で、化学者で結晶学者のロザリンド・フランクリンとともに働き始めた。この経験が、ウイルスの研究に対する生涯にわたる関心を呼び覚ました。在籍中に、1950年代の終わりにかけて、タバコモザイクウイルスの構造について発見をした。1962年に、ケンブリッジに新設された医学研究会議の分子生物学研究所に入った。その後の10年ほどで、X線回折や電子顕微鏡、構造の模型化の方法を使って、異なる角度から撮った結晶の2次元画像を組み合わせ、3次元の像を得る電子線結晶学を発展させた。運搬RNAの構造を調べ、いわゆる亜鉛フィンガーを発見し、アルツハイマー病の神経原線維の研究も行った。ドナルド・キャスパーとともに、非対称な粒子が規則的に並んでできる球状の殻についての一般的な理論を築き、球状ウイルスの構造を説明した。1986年から1996年まで、ケンブリッジ大学の分子生物学研究所の所長を務めた。

1969年に王立協会の会員となり、1995年から2000年まで同協会の会長を務めた。1988年にナイトに叙され、1995年にメリット勲章を受けた。1979年にハイネケン賞、1981年にコロンビア大学のルイザ・グロス・ホロウィッツ賞を受け、1985年にコプリ・メダルを、2007年にクルーニアン・メダルを受けている。ケンブリッジのピーターハウスの特別研究員でもあった。ウェルカム・トラストに働きかけて、ヒトゲノム計画で重要な役割を果たした研究所の設立に関わったとされる。2018年11月20日に92歳で亡くなった。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物