伝記
ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュは、1924年6月12日、ボストン郊外のミルトンで、プレスコット・ブッシュとドロシー・ウォーカー夫妻の次男として生まれた。のちにアメリカ合衆国の第41代大統領となる人物である。父はコネチカット州選出の共和党の連邦上院議員で、著名な投資銀行に在籍していた。高校卒業後は国への義務を果たすべく海軍に志願した。その年のうちにテキサス州コーパスクリスティで飛行訓練を終え、アベンジャー雷撃機のパイロットに任命された。
1942年より空母サン・ジャシントに乗り組み、第51雷撃飛行隊に所属して太平洋戦線に従軍した。第二次世界大戦における最も若い艦上攻撃機パイロットだったとされ、飛行時間は1228時間、空母への着艦は126回に及んだが、2度撃墜されている。1944年のマリアナ沖海戦では日本機の銃撃で乗機を失い、同年9月2日には小笠原諸島沖で父島の地上砲台の対空砲火を浴びて撃墜された。いずれも味方に救助されている。2度目は敵地に近く、同乗していた中尉と二等兵曹の2人は戦死し、自身も4時間にわたって漂流して、捕虜になる危機を迎えたが、潜水艦フィンバックに救われた。この経験から、神はなぜ自分を生かしたのか、と自問するようになったという。1944年を通じて58回の戦闘に参加し、殊勲飛行十字章など全部で5個の勲章を受けて、海軍中尉に昇進して退役した。
太平洋から帰還して数週間後の1945年1月6日、バーバラ・ピアスと結婚し、6人の子供をもうけた。帰国後はイェール大学に進んで2年半で卒業した。野球チームの一塁手として活躍し、キャプテンとしてチームをカレッジ・ワールドシリーズに導き、卒業の年には試合前にベーブ・ルースとも対面している。入学した年には、父も属した秘密結社スカル・アンド・ボーンズに加入し、1948年に経済学の学士号を取得した。その後は地元テキサス州でオイルビジネスに従事した。
政治家としては、1964年にテキサス州から上院議員選挙に出馬したが、民主党の地滑り勝利の年にあたり敗れた。1966年と1968年にはテキサス第7区から連邦下院議員に選ばれたが、1970年の2度目の上院議員選挙でも敗れた。1970年代にはニクソンとフォードの2人の共和党大統領の下で、共和党全国委員会委員長、国際連合大使、米中連絡事務所所長などの要職を歴任した。訪中したフォード大統領に同行し、毛沢東とも2度会見しており、中国で過ごした経験は、世界の問題へのアメリカの強い関与の必要性を確信させたとされる。1976年1月から1977年1月までは中央情報長官も務めた。
1980年には大統領候補の指名を争う予備選挙に出たが、レーガンに敗れた。レーガンはブッシュを副大統領候補に指名し、1981年1月20日に副大統領に就任した。副大統領としてはレーガンに忠実に仕え、同年3月30日の銃撃事件のとき、大統領職権の臨時代行を勧められて断ったことをきっかけに、レーガンはその謙虚な人格を信頼するようになったという。2期8年を務めたのち、1988年の大統領選挙では共和党候補に選ばれ、民主党のデュカキス州知事に大勝した。現職の副大統領が大統領に当選したのは、ヴァンビューレン以来152年ぶりのことだった。1989年1月20日に第41代大統領に就任し、最初に取り組んだのは麻薬戦争で、パナマのノリエガ政権との対立を深めた。2018年11月30日に死去し、94歳で、死去時点では最高齢の大統領経験者だった。長男のジョージ・W・ブッシュは第43代大統領を務めた。
同じ年に亡くなった人物
- アンリ・ミシェル (2018年没)
- ジョン・ペリー・バーロウ (2018年没)
- Raymond Robinson (2018年没)
- ジョン・サルストン (2018年没)
- マリオ・セガール (2018年没)
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- ポリカプ・クッシュ (1993年没)
- ジョン・M・ラウンジ (2011年没)