伝記
アンソニー・マイケル・ボーデインは、1956年6月25日、ニューヨークのマンハッタンに生まれたアメリカ合衆国のシェフ、作家、番組司会者である。愛称は「トニー」。父ピエールは、カメラ店の販売員とレコード店のフロア主任を兼ね、のちにコロンビア・レコードで、クラシック音楽の録音を担当する幹部になった。母グラディスは、ニューヨーク・タイムズ紙の編集者だった。弟のクリストファーがいる。父方の祖父は、第一次世界大戦のあとにフランスからニューヨークに移住しており、フランス系の血を引き、母方はユダヤ系である。家族は宗教に熱心ではなかった。ニュージャージー州のレオニアで育ち、のちに、両親に愛され、殴られることもなく、愛情に不足はなかったと、著書で子供時代を振り返っている。
食への目覚めは、少年時代の家族旅行で訪れたフランスにあった。船の上で出された冷たいヴィシソワーズが、最初に意識して味わった食べ物だった。のちに、滞在先の叔母の家の近くで、牡蠣漁師の舟に乗り、とったばかりの生の牡蠣をもらった。これで虜になったと彼は語っている。1973年にニュージャージー州の高校を卒業し、ヴァッサー大学に入学したが、2年で退学した。在学中、マサチューセッツ州プロヴィンスタウンのシーフードレストランで下働きをしたことが、料理を職業にしようという決心につながった。1978年に料理学校のカリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカを卒業し、ニューヨークのさまざまなレストランの厨房を任された。一時はヘロインとコカインの中毒にもなったが、1980年代に薬物を絶った。1998年には、マンハッタンの人気店「ブラッスリー・レ・アール」の総料理長となった。この店の東京支店のために来日した折に、まったく異なる新しい世界があると知り、人生の転機になったと語っている。
1980年代半ばから、ロウアー・イースト・サイドの文芸誌に、頼まれてもいない原稿を投稿するようになり、1985年には、作家ゴードン・リッシュの創作の教室に登録した。1990年代の終わりに、雑誌に寄せたエッセイが、遠慮のない語り口で評判を呼び、執筆の道が開けた。2000年に、高級レストランの裏側を描いた著書『キッチン・コンフィデンシャル』を出して、大ヒットとなり、一躍有名人になった。1日12時間以上働く日々を、44歳まで送っていた。小説の『シェフの災難』などもある。2002年からは、世界を旅して食と文化を紹介する番組『クックズ・ツアー』に関わり、2005年からは『アンソニー世界を喰らう』を放映し、2009年にエミー賞を受賞した。2013年からはCNNで『アンソニー世界を駆ける』の司会を務め、エミー賞を4回受賞している。東京を愛し、残りの人生で1つの都市でしか食事ができないなら東京を選ぶと答えた。
1985年に高校時代からの恋人ナンシーと結婚し、2005年に離婚した。のち、イタリア人の格闘家と再婚して、2007年に娘アリアーヌが生まれたが、2016年に離婚した。2016年の番組の中で、孤独を感じて鬱状態に陥ることがあると、セラピストに語っていた。2018年6月8日、『アンソニー世界を駆ける』の撮影中に、フランスのホテルの部屋で、死亡しているのが見つかった。死因は自殺とされる。発見したのは、同行していた親友で、料理人のエリック・リパートだった。62歳の誕生日を目前にしていた。
同じ年に亡くなった人物
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- アルバロ・アルス (2018年没)
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- グラシアノ・ロッシジャーニ (2018年没)
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