伝記
ジョン・シドニー・マケイン3世は、1936年8月29日、当時アメリカ領であったパナマ運河地帯のココ・ソロ海軍航空基地で生まれたアメリカの政治家である。父は海軍大将のジョン・S・マケイン・ジュニア、母はロベルタで、祖父のジョン・S・マケイン・シニアも海軍大将で、航空母艦戦略の先駆者であった。出生地は非編入領域で、後年の大統領選挙への出馬に際し、就任資格である「生まれによるアメリカ合衆国市民」に当たらないのではないかという疑義を招いた。父の仕事の都合で各地で育ち、青年時代までに20もの学校に通った。激しく議論好きな気性で知られていた。
祖父と父にならい、1954年にアメリカ海軍兵学校へ入学した。反体制的な士官候補生で、教授や指導部と喧嘩をし、毎年100以上の罰点を受けた。小柄ながらライト級のボクサーとして3年間戦い。1958年に卒業したが、成績は899人中894番目であった。同年6月に海軍少尉へ任官し、フロリダ州とテキサス州でパイロットの訓練を受けた。平均より下のパイロットであったとされ、訓練中の墜落も経験したが、大きな怪我はなかった。1965年7月3日にキャロル・シェプと結婚して彼女の連れ子二人を養子にし、1966年9月には娘が生まれた。やがて戦闘任務に志願し、1966年12月に第46攻撃飛行隊のA-4パイロットとして空母フォレスタルに乗り組んだ。
1967年春、フォレスタルはローリング・サンダー作戦のため派遣された。7月29日には空母上の火災事故で危うく死ぬところであった。F-4から誤って発射されたロケット弾がA-4に直撃して燃料タンクが破裂し、脱出した後に爆弾が爆発して、金属片で足や胸に傷を負った。この事故では132名が死亡している。10月までに22回の爆撃任務を遂行した。10月26日、ハノイ市の火力発電所の攻撃に参加し、搭乗したA-4がS-75によって撃ち落とされた。両腕を骨折し、足にも怪我を負ったうえ、チュックバック湖に落ちて溺れかけた。集まった暴徒に殴られ、ライフルの台尻で肩を砕かれ、銃剣で左足や腹部を突かれた。ハノイの捕虜収容所へ送られたが、すぐに死ぬと考えられて治療されず、尋問には名前、階級、認識番号、生年月日しか明かさなかった。父が海軍大将と知られると治療が施され、捕縛が公表された。
1968年7月、父がアメリカ太平洋軍の司令長官となり、早期の釈放の機会が与えられた。しかし軍の行動規範にしたがってこれを拒み、自分より早く捕らえられた者が釈放されるなら受け入れるとの態度を示した。8月には拷問を受け、赤痢にもかかり、自殺を図って看守に止められた。4日間の拷問の末、反米宣伝の「告白」に署名させられたが、強制されたと分かるように書いた。この時の傷で、腕は肩より上に上がらなくなった。捕虜としての日々は5年半に及び、1973年1月27日にパリ協定が結ばれてアメリカ軍の関与は終わった。
その後は1983年から1987年まで連邦下院議員、1987年から2018年まで、アリゾナ州選出の連邦上院議員を務めた。共和党の重鎮でありながら党派にとらわれない議会活動で知られ、しばしば「一匹狼」と形容された。2008年の大統領選挙では共和党の大統領候補となった。2017年7月に脳の血腫除去手術を受け、悪性度の高い脳腫瘍の膠芽腫と診断されたことを公表した。2018年春に旭日大綬章を受章し、同年、祖父や父が名の由来であるイージス駆逐艦の艦名由来に、自らの名も加えられた。8月24日に家族が治療の中止を公表し、翌25日に死去した。
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