伝記
ドロシー・マローンは、本名をメアリー・ドロシー・マロニーといい、1924年1月にアメリカのシカゴで生まれた女優である。生年月日は1月29日とも30日ともされる。5人きょうだいの一人で、父は電話会社の監査役だった。生後6か月で一家はテキサス州ダラスに引っ越し、そこで高級百貨店のモデルとして活躍した。修道会系の学校や高校、短期大学で学び、南メソジスト大学にも進んだ。最初は看護師になることを考えていた。大学の芝居に出ていたとき、男性の俳優を探していたスカウトの目に留まった。
18歳でRKOと契約し、ドロシー・マロニーの名で、1943年に映画デビューした。のちに、結婚式の花嫁付添役や、女性だけの楽団の指揮者などの役ばかりで、RKOで唯一の成果は、テキサスなまりが消えたことだったと語っている。フランク・シナトラ共演の作品などに出たが、契約は更新されなかった。次にワーナー・ブラザースと契約し、会社は、姓をマロニーからマローンに変えた。新聞に写真が載り、給料も上がったという。ワーナーの初期の作品に出たあと、ハワード・ホークス監督が、ハンフリー・ボガートと共演する『三つ数えろ』(1946年)で、眼鏡をかけた書店員に彼女を起用した。名前のない役だが、希少本について探偵と交わす軽妙な会話は、場面をさらい、注目された。その後、より大きな役を得て、1948年の作品では初めて主役を演じ、本人はこの映画で、「全米の男の子が色々なことをするのを見つめる全米の女の子」という銀幕での持ち味が確立したと述べている。1949年の作品を最後にワーナーを離れた。
以後はフリーとして活動し、コロンビアや他の会社で西部劇などに出て、テレビにも出るようになった。数か月ニューヨークで演技を学んだあと、プロデューサーの呼び戻しで、ディーン・マーティンとジェリー・ルイスの喜劇に出演した。ロナルド・レーガンらと共演する西部劇でも、恋の相手役を演じた。約10年が過ぎたころ、役柄の印象を変え、1956年の『風と共に散る』で、アカデミー助演女優賞を受賞した。1959年5月には、『最後の航海』の日本ロケのために来日している。1960年代の初めにキャリアの頂点を迎え、1964年から1968年のテレビドラマ『ペイトンプレイス』では、コンスタンス・マッケンジー役を演じて成功を収めた。晩年は活動が減り、最後の映画出演は1992年の『氷の微笑』だった。2018年1月19日、テキサス州ダラスの介護施設で、老衰のため死去した。
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