HISTORICAL PERSON · 2019年没

ジョアン・ジルベルト

ブラジルの歌手・ギタリスト。ジョビンらとともにボサノヴァを生み出し、「ボサノヴァの父」と呼ばれた。母国では「伝説」と讃えられた。

生涯
2019年没
死亡地
ブラジル連邦共和国(リオデジャネイロ州 / リオデジャネイロ)
出生地
ブラジル連邦共和国(ジュアゼイロ)
出典
世界地図
ブラジル連邦共和国(リオデジャネイロ州)

伝記

ジョアン・ジルベルトは、1931年6月10日に生まれ、2019年7月6日に没したブラジルの歌手、ギタリストである。作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンや作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライスらとともにボサノヴァという音楽ジャンルを創成し、「ボサノヴァの父」と呼ばれた。母国では「伝説」と讃えられた。

ブラジル北東部バイーア州ジュアゼイロの裕福な商人のもとに生まれ、10歳になるまでこの町で育った。1946年に父からギターを贈られてバンド活動に夢中になり、中等寄宿制学校に進んだが、音楽の勉強のために退学した。1949年にはラジオ番組に出演している。19歳でリオ・デ・ジャネイロに出てボーカル・グループ「ガロットス・ダ・ルア」のリード・ボーカルとなり、2枚のSPを録音したが、長くは続かずに脱退した。1952年に初のソロ・レコードを録音したもののヒットせず、寝る場所と食事を求めて友人宅を転々とする日々が続いた。見かねた友人の計らいで1955年に姉の住むジアマンチーナへ移り、居候を始めた。バスルームに一日中閉じこもってギターを弾きながら歌い続け、サンバのリズムをギターだけで表現するバチーダと呼ばれる独特の奏法を編み出したという。

1957年にリオへ戻るとジョビンと出会い、ジョビンはその声とギターに惚れ込んだ。1958年にはエリゼッチ・カルドーゾのアルバムの2曲にギタリストとして参加し、同年7月10日にはジョビンとモライスの「想いあふれて」を録音した。これが最初のボサノヴァ・ソングとされ、発売当初は話題にならなかったが、次第にリオの若者の間で人気となってボサノヴァ・ムーブメントが形成された。1959年には初のLP『想いあふれて』が発売された。同年にアストラッド・ジルベルトと結婚し、1962年にはニューヨークのカーネギーホールで開かれたボサノヴァのコンサートの目玉として迎えられた。成功により名門ジャズ・レーベルのヴァーヴと契約し、1963年にサックス奏者のスタン・ゲッツと『ゲッツ/ジルベルト』を録音した。1964年にはアストラッドが英語で歌った「イパネマの娘」がシングルとして発売されて有名曲となったが、二人はほどなく離婚した。『ゲッツ/ジルベルト』は1965年にグラミー賞の最優秀アルバム賞を受けた。ボサノヴァ・ブームの退潮や軍事政権の台頭の影響からか、1969年にはメキシコシティに移り、2年間暮らした。

その後も1973年の『三月の水』、1981年のカエターノ・ヴェローゾらとの『海の奇蹟』などを発表した。1992年にはジョビンと『ゲッツ/ジルベルト』以来の共演を果たしている。2000年には全編ギター弾き語りの『ジョアン 声とギター』を発表し、グラミー賞の最優秀ワールドミュージック・アルバム賞を受賞した。2003年には70代で初の日本公演を行い、2004年、2006年にも来日した。2008年9月のボサノヴァ50周年記念式典が公の場での最後のステージとされる。2019年7月6日、リオの自宅で88歳で死去した。晩年は経済的な問題と健康の悪化が特徴だったという。

声はビブラートをかけず囁くように歌われ、ブレスの音すら楽器のようと評された。ギターの低音弦でスルドの、高音弦でタンボリンのリズムを表し、ギター1本の表現を完成させた。マイルス・デイヴィスは「新聞を読んでも美しく聞こえるだろう」という意味の言葉で声を称賛し、坂本龍一も大ファンを公言していた。

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