伝記
ドリス・デイは、1922年4月3日にアメリカ合衆国オハイオ州シンシナティで生まれ、2019年5月13日に亡くなった女優・歌手である。本名はドリス・メアリー・アン・カッペルホフで、ドイツ系の家庭に育った。長く1924年生まれと語っていたが、95歳の誕生日にAP通信が1922年と記された出生証明書を見つけたという。父は音楽教師で聖歌隊の指揮者、母は主婦だった。名はサイレント映画の女優ドリス・ケニヨンにちなむ。父の不貞のため、10歳だった1932年に両親は別れた。芸能活動は75年に及び、1940年代と1950年代には最も人気のある女性歌手の一人、1960年代には興行収入で屈指の映画スターとなった。親しみやすい隣の娘という印象と、独特の歌声で知られた。
幼い頃から踊りを好み、1930年代半ばには仲間と組んで各地の競技会に出場した。ロサンゼルスへ移る準備をしていた1937年10月13日、友人たちと乗った車が貨物列車と衝突し、右脚を骨折して、プロの踊り手になる道は断たれた。療養中にラジオに合わせて歌ううちに歌の才能に気づき、とりわけエラ・フィッツジェラルドの声に聞き入ったと本人は述べている。母の手配でグレース・レインに歌を学び、後年、誰よりも自分の歌い方と経歴に影響を与えた人物だと語った。ラジオ番組やレストランで歌う仕事を得て、バンドリーダーのバーニー・ラップの目に留まった。1939年、ラップは、カッペルホフでは劇場の看板に長すぎること、彼女の歌う『デイ・アフター・デイ』を気に入ったことから、デイという芸名を提案した。その後、ジャズバンドのレス・ブラウン楽団の専属歌手となり、バンドの一員と結婚して息子テレンスを産んだが、1942年に離婚した。1945年にはレス・ブラウン楽団とともに『センチメンタル・ジャーニー』などを全米1位に送り込んだ。
1946年に2度目の結婚をするが、わずか8か月で破局した。その直後にワーナー・ブラザースのオーディションを受けて契約し、1948年の『洋上のロマンス』で映画デビューを果たす。1950年には主題歌もヒットした『二人でお茶を』に出演し、1951年には5本に出演する売れっ子となった。同年、エージェントのマーティン・メルチャーと結婚している。1953年の西部劇風ミュージカル『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものにし、1956年のヒッチコック監督作『知りすぎていた男』で歌った『ケ・セラ・セラ』はアカデミー歌曲賞を受けた。この曲は代表曲となり、2011年にグラミーの殿堂入りを果たしている。1959年の『夜を楽しく』ではアカデミー主演女優賞の候補になった。ロック・ハドソンとは3本のコメディで共演した。1947年から1967年に録音した曲は650曲以上にのぼる。
1968年に夫が亡くなると映画界を引退し、活躍の場をテレビに移して『ドリス・デイ・ショー』(1968年から1973年)に主演した。1976年に4度目の結婚をしたが、1981年に離婚した。その後は動物愛護に力を注ぎ、動物愛護団体のドリス・デイ・アニマル・リーグを設立した。1989年にゴールデングローブ賞のセシル・B・デミル賞、2004年に大統領自由勲章、2008年にグラミー賞の特別功労賞を受けている。極度の飛行機恐怖症だったという。2019年5月13日、肺炎のためカリフォルニア州の自宅で死去した。
同じ年に亡くなった人物
- ハロルド・デムゼッツ (2019年没)
- ジョナス・メカス (2019年没)
- ベッチ・カルヴァーリョ (2019年没)
- アキリシ・ポヒヴァ (2019年没)
- フェルナンド・リックセン (2019年没)
同じ地域に関係する人物
- エド・ウッド (1978年没)
- ジョージ・リーヴス (1959年没)
- ジョン・キャロル (1979年没)
- Kenneth Ross MacKenzie (2002年没)
- ディヴァイン (1988年没)