HISTORICAL PERSON · 2019年没

ミシェル・ルグラン

フランスの作曲家、ジャズピアニスト。ジャック・ドゥミ監督と『シェルブールの雨傘』を手がけ、『華麗なる賭け』の主題歌『風のささやき』でアカデミー歌曲賞を受けた。

生涯
2019年没
死亡地
フランス共和国(オー=ド=セーヌ県 / ヌイイ=シュル=セーヌ)
出生地
フランス共和国(パリ)
出典
世界地図
フランス共和国(オー=ド=セーヌ県)

伝記

ミシェル・ルグランは、1932年2月24日にパリのメニルモンタンで生まれ、2019年1月26日にパリ西部近郊のヌイイ=シュル=セーヌで死去した、フランスの作曲家、ジャズ・ピアニスト、編曲家である。父は指揮者で作曲家のレイモン・ルグラン、母はマルセル・デル・ミカエリアンで、2歳年上の姉は後にスウィングル・シンガーズのリード・ソプラノとして名を成すクリスチャンヌ・ルグランという音楽一家に育った。両親は彼が3歳のときに離婚したと伝えられる。

1942年から1949年までパリ国立高等音楽院でピアノと作曲を学び、ナディア・ブーランジェらに師事して複数の一等賞を得た。1947年にディジー・ガレスピーの演奏会を聴いてジャズに傾倒し、数年後には、ヨーロッパ公演でガレスピーに付く弦楽オーケストラの編曲を手がけている。1951年には父の楽団のために編曲を書き、これを機に歌謡曲の世界へ入った。ジャック・カネッティのもとで、ジャクリーヌ・フランソワ、アンリ・サルヴァドール、ジャック・ブレルらの伴奏と編曲に携わった。1954年にはアメリカのコロンビア社の求めでフランスの流行歌をジャズ風に編曲した『アイ・ラヴ・パリ』を発表し、800万枚が売れたとされ、国際的な名声を得た。1956年にはモーリス・シュヴァリエの公演の音楽監督を務め、1957年にはモスクワの世界青年祭に招かれている。

1958年には自身名義のアルバム『ルグラン・ジャズ』をニューヨークで録音し、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスらと共演した。ヨーロッパ人としては最も早く現代ジャズの巨匠たちと仕事をした一人とされる。『シャンソン・ド・マクサンス』や『おもいでの夏』の主題曲のように、ジャズのスタンダードとなった曲もある。

1960年前後に始まったヌーヴェル・ヴァーグの潮流が、彼を映画音楽の世界に定着させた。アニエス・ヴァルダの『5時から7時までのクレオ』、ジャン=リュック・ゴダールの『女は女である』『女と男のいる舗道』『はなればなれに』、そして何よりジャック・ドゥミの『ローラ』『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』『ロバと王女』を手がけた。ドゥミとは、フランス式のミュージカル映画を生み出したとされる。『シェルブールの雨傘』は台詞のすべてが音楽に乗せて歌われる作品で、当時としては斬新だった。

この作品でアカデミー賞にノミネートされた後の1966年、ハリウッドに渡ってロサンゼルスに居を構えた。クインシー・ジョーンズやヘンリー・マンシーニとの友情が助けとなり、作詞家のアラン、マリリン・バーグマン夫妻とも出会った。1968年にはノーマン・ジュイソン監督が編集に行き詰まっていた『華麗なる賭け』に対し、映画を一度見ただけで1時間半の音楽を先に作曲するという、従来のハリウッドにはない方法をとった。主題歌『風のささやき』でアカデミー歌曲賞を受けた。ほかに『おもいでの夏』『愛と哀しみのボレロ』『栄光のル・マン』『ネバーセイ・ネバーアゲイン』などを手がけ、テレビも含めて200を超える作品に関わった。アカデミー賞には11回ノミネートされて3回受賞し、この部門でもっとも多く栄誉を受けたフランス人とされる。

親日家で1972年以降たびたび来日公演を行い、『ベルサイユのばら』の音楽や森山良子との共演でも知られた。晩年にはボイストレーニングを受け、自作曲を自ら歌うようにもなった。

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