HISTORICAL PERSON · 2020年没

チャック・イェーガー

アメリカの空軍軍人で最終階級は准将。公式記録において世界で初めて音速を超えた人物として知られる。第二次世界大戦ではP-51のパイロットだった。

生涯
2020年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
アメリカ合衆国(マイラ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

チャールズ・エルウッド・イェーガーは、通称チャック・イェーガーといい、1923年2月13日に生まれ、2020年12月7日に没したアメリカ合衆国の軍人である。陸軍と空軍に勤め、退役時の階級は空軍准将だった。公式記録において世界で初めて音速を超えた人物として知られる。

ウェストバージニア州リンカーン郡マイラの貧しい家庭に生まれ、1941年9月12日に陸軍航空軍へ一兵士として入隊し、飛行機の整備士となった。1943年にパイロットの資格を取り、同年11月にイギリスへ派遣されて、第363戦闘飛行隊のP-51のパイロットとして戦闘に加わった。1944年3月4日の7回目の出撃で初撃墜を記録したが、翌日の8回目の出撃ではフランス上空で自らが撃墜された。レジスタンスの助けでピレネー山脈を越えてスペインへ逃れ、当時の規則では撃墜されたパイロットの戦列復帰は認められなかったものの、司令部への度重なる嘆願の末、しばらく機銃手を務めたのちパイロットに復帰した。同年10月12日には一度の出撃でBf109を5機撃墜し、アメリカ軍最初の「1日でエースとなったパイロット」と呼ばれた。終戦までの撃墜は11.5機で、ジェット戦闘機Me262の初撃墜も含まれる。1945年2月にはグレニス・ディックハウスと結婚し、4人の子をもうけた。

戦後は新設の空軍に移り、高速飛行計画の機体ベルXS-1のテストパイロットに選ばれた。1947年10月14日、XS-1は高度6,100メートルで母機から切り離され、ロケットエンジンに点火して上昇し、マッハ1.06を記録して人類初の有人超音速飛行を果たした。衝撃波による振動はほとんどなく、意外なほどあっさり音速を超えたという。この2日前に落馬で肋骨を折っていたが、テスト飛行から外されるのを恐れて隠し、同僚の大尉が勧めたモップの柄を使って搭乗口を閉めた。機体には妻にちなむ「グラマラス・グレニス」の愛称を付け、この機体は国立航空宇宙博物館に展示されている。同年にコリアー・トロフィーを受けた。1953年12月12日にはX-1Aでマッハ2.44を記録したが、直後に機体がきりもみ状態となり、高度8,800メートル付近で立て直して墜落を免れた。

1962年にはテストパイロット学校の校長となり、1963年12月にはNF-104での高度記録に挑んだが、トラブルで機は墜落し、無事に生還した。ベトナム戦争では第405戦闘飛行隊を指揮して120の作戦に参加し、1968年に准将へ昇進、1975年にノートン空軍基地で退役したが、その後もテストパイロットや助言者として働いた。1997年10月14日には、音速突破50周年の式典でF-15Dに乗り、50年前と同じ10時29分に音速を超えた。これが空軍での最後の公式飛行となった。2004年に議会が少将昇進を議決し、翌2005年に予備役少将となった。

故郷では、マーシャル大学に奨学金制度を設けて教育の振興に尽くし、州都チャールストンの空港や橋に名がつけられた。トム・ウルフの小説『ライトスタッフ』とその映画の主人公の一人にもなったが、映画には史実と異なる演出もある。妻グレニスは1990年に亡くなり、2003年8月に女優のヴィクトリア・スコット・ディアンジェロと再婚した。2012年10月14日には、音速突破から65周年のこの日にネリス空軍基地でF-15Dに同乗し、超音速飛行を再び体験した。2020年12月7日、ロサンゼルスの病院で97歳で死去した。

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