伝記
サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハは、1929年6月16日に生まれ、2020年9月29日に没した第15代クウェート首長である。日本の報道機関ではサバハ首長と表記されることが多かった。父は第10代クウェート首長のアフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハで、四男にあたる。歴代首長にサバーハという名の人物が過去に3名いるため、サバーハ4世とも呼ばれる。兄弟にはナウワーフ、第13代クウェート首長ジャービル、ファハドらがおり、第14代クウェート首長サアドははとこにあたる。
幼少期には1930年代にムバーラキーヤ学校で初等教育を受け、その後は家庭教師について学業を終えたという。1963年から2003年まで外務大臣を務め、退任時には世界で最も長く外相の座にあった人物とされ、その後も歴代2位の長さだとされる。外相として、湾岸戦争後のクウェートの対外関係を立て直した。外相在任中は第一副首相も兼ね、1965年から1967年には財務大臣代行も務めた。2003年7月には、異母兄にあたる首長ジャービルによって首相に任じられ、それまで太子だったサアドに代わった。ジャービルの健康が悪化していたため、2003年から2006年にかけては事実上の統治者でもあったとされる。
2006年1月15日にジャービルが没すると、太子のサアドが新首長となり、サバーハは太子兼首相になるものと見られた。しかしサアドはすでに重い病を患い、長く話すことさえできないとされ、憲法が定める就任の宣誓ができるのか懸念された。国民議会議長のジャースィム・アル=ハラーフィーは議員たちと協議し、首相のサバーハへ権力を移す道を探った。支配家内部の権力争いを経て、サアドは1月23日に病気を理由に退位に同意した。1月24日、国民議会はサアドの罷免を議決し、続いて内閣がサバーハを首長に推薦した。1月29日、議会の承認を得て宣誓を行い、この危機は収束した。
在位中は国民議会との対立が続いた。2008年3月には内閣が総辞職したのを受けて議会を解散し、5月17日に前倒しの選挙を行うと告げた。2012年にも政府と議会の争いが起こり、議会を解散している。2016年3月には、野党が首相の政府運営を追及するのを防ぐため議会を停止したとも伝えられる。一方、外交では調停役として知られ、外相と首相として約40年務めた経験や湾岸協力会議での立場がその背景にあったという。クウェートはパキスタンとバングラデシュ、トルコとブルガリア、パレスチナ自治政府とヨルダン、レバノン内戦の諸勢力、湾岸諸国とイランの間を取り持った。2016年にはイエメン内戦の対立勢力の指導者を集めた国連主催の会合を複数回受け入れた。2017年に始まったカタール外交危機でも主要な仲裁役となり、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の当局者と会ったうえでドーハへ向かった。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツもその努力を支持し、同年9月にはワシントンでトランプ大統領と会談した。2012年3月には訪日し、当時の天皇であった明仁(現在の上皇)と会見している。
2019年9月の訪米時には検査入院が報じられた。2020年7月にも医学的検査のため入院し、一時的に権限を太子に委譲した。9月29日、アメリカの病院で91歳で没した。これは当時の君主ではイギリスのエリザベス2世に次ぐ年長であった。クウェート政府は40日間の追悼を宣言した。
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