伝記
ジョエル・シュマッカーは、1939年8月29日にニューヨークで生まれ、2020年6月21日に没したアメリカ合衆国の映画監督・脚本家・映画プロデューサー・衣裳デザイナーである。父はドイツ系のプロテスタントでテネシー州の出身、母はスウェーデンから来たユダヤ系の家に生まれた人で、父は彼が4歳のときに亡くなったとされる。
ニューヨークでパーソンズ美術大学などに学び、化粧品会社レブロンで働いたのち、映画や舞台の衣裳を手がけるようになった。映画界での出発は、フランク・ペリー監督の作品の衣裳デザインだったとされ、その後ハーバート・ロスやウディ・アレンの作品にも関わった。やがて脚本にも進み、1976年の『カー・ウォッシュ』、1978年の『ウィズ』などで脚本を担当した。
1980年代に監督として歩み出した。最初の監督作は、ジョン・ランディスが予算削減を理由に降りた企画を引き継いだ『縮みゆく女』で、批評も興行も芳しくなかった。次の『D.C.キャブ』(1983年)も批評は冷たかったが、商業的には利益を出したという。最初の本格的な成功は1985年の『セント・エルモス・ファイアー』で、若手俳優の群像を描き、ブラット・パック映画のヒットとなった。同じ顔ぶれで撮った『ロストボーイ』(1987年)は吸血鬼を扱った幻想的な作品で、初めて高い評価を得た。続いて恋愛喜劇『今ひとたび』(1989年)、『フラットライナーズ』(1990年)を発表し、後者は批評こそ割れたものの、夏の商業的成功となった。1993年にはマイケル・ダグラスの依頼で『フォーリング・ダウン』を監督し、これが二度目の批評的成功となった。
1990年代には人気俳優を起用する監督として各社に求められた。『愛の選択』(1991年)ではジュリア・ロバーツを演出し、ジョン・グリシャム原作の『依頼人』(1994年)は批評・興行ともに大きな成功を収めた。原作者自身が次の小説『評決のとき』(1996年)の映画化も彼に望んだとされ、こちらも評価は概ね好意的だった。1995年にはワーナー・ブラザースがティム・バートンに代えて彼を選び、『バットマン フォーエヴァー』を監督した。ファンからの評判は悪かったものの、興行では成功した。1997年の『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』は一転して商業的に失敗し、皮肉めいた調子や俗っぽい美術、同性愛をほのめかす表現が報道やファンから批判された。同作は第18回ゴールデンラズベリー賞で9部門にノミネートされ、彼は「バットマンを殺したこと」を詫びたと伝えられる。続編『バットマン・トライアンフ』の企画もあったが、この失敗で立ち消えになった。
その後は大手スタジオから距離を置き、ニコラス・ケイジ主演の『8mm』(1999年)や、ロバート・デ・ニーロらが出た『フローレス』(1999年)を手がけた。2000年にはコリン・ファレルを主演に『タイガーランド』を撮って評価を取り戻し、『フォーン・ブース』(2002年)などのサスペンス、『ヴェロニカ・ゲリン』(2003年)、脚本も自ら担当した『オペラ座の怪人』(2004年)を発表した。『ナンバー23』(2007年)、『ブレイクアウト』(2011年)があり、2013年にはテレビドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』の2話を監督した。シールやスマッシング・パンプキンズのミュージックビデオも制作している。ゲイであることを公にしていた。
2020年6月21日朝、長く闘病していたがんのため、生まれ故郷のニューヨークで亡くなった。
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