HISTORICAL PERSON · 2020年没

オリヴィア・デ・ハヴィランド

日本で生まれたイギリス人の両親の娘で、アメリカの女優。初期は清純な娘役が多く、後期は重厚な役柄を演じた。妹は女優のジョーン・フォンテイン。

生涯
2020年没
死亡地
フランス共和国(パリ / 16区)
出生地
日本(東京都)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

オリヴィア・デ・ハヴィランドは、1916年7月1日に日本の東京(現在の東京都港区)で、イギリス人の両親の間に生まれ、2020年7月26日にパリの自宅で亡くなったアメリカ合衆国の女優である。妹は同じく日本生まれで女優となったジョーン・フォンテインである。父ウォルターはケンブリッジ大学出身で、東京帝国大学の英語教授として招かれたとされるが異説があり、のちに日本での経験を活かして特許弁護士となった。母リリアンはロンドンの王立演劇学校出身で、来日前は舞台女優をしていた。

両親の結婚生活は必ずしも幸福ではなかった。1919年2月、母は病弱な娘たちに東京の気候は合わないと考えて一家でイギリスへ戻ることにしたが、道中でオリヴィアが気管支炎で倒れ、一家はカリフォルニアに滞在した。続いてジョーンも肺炎にかかったため、母は娘二人とカリフォルニアに残り、サンフランシスコから約50マイルのサラトガに移り住んだ。父は日本へ戻り、両親が正式に離婚したのは1925年2月である。母は娘たちにシェイクスピアを読み聞かせ、音楽や弁論術も学ばせた。のち母は百貨店経営者のジョージ・M・フォンテインと再婚したが、厳格な義父に姉妹は敵意を抱き、年子の姉妹も不仲になって、その仲は生涯続いたという。

高校では演劇部に所属し、1933年に地域の素人劇団の『不思議の国のアリス』で初舞台を踏んだ。1934年に高校を卒業したのち、サラトガの劇場で『真夏の夜の夢』のパック役を依頼された。その夏、演出家マックス・ラインハルトがハリウッド・ボウルで同作を上演するため来ており、助手がその演技を見て注目したことから、ハーミア役の代役に指名され、好評を得て4週間の巡業も務めた。やがてワーナー・ブラザースによる映画化が決まると、ラインハルトは映画でも同役での出演を求めた。当時は英語教師を志し、奨学金でミルズ大学に入る予定だったが、ラインハルトに説かれて映画出演を承諾し、18歳でワーナーと8年間の出演契約に署名した。

1935年10月公開の『真夏の夜の夢』で映画デビューし、続けてコメディ3本に出たが、観客の反応は芳しくなかった。そこでワーナーは、無名だったオーストラリアの俳優エロール・フリンの相手役として『海賊ブラッド』に起用する賭けに出た。これが大ヒットとなり、『ロビンフッドの冒険』『無法者の群』『壮烈第七騎兵隊』など、フリンとの共演は合計8本に及んだ。望んでいたシリアスな役に出会ったのが『風と共に去りぬ』(1939年)のメラニー・ハミルトンで、原作を読んで転機になる役だと直感したという。この役でアカデミー助演女優賞にノミネートされたが、受賞は同作のハティ・マクダニエルだった。

のちに『遥かなる我が子』(1946年)と『女相続人』(1949年)でアカデミー主演女優賞を2度受賞した。妹フォンテインも『断崖』で同賞を得ており、アカデミー主演賞を得た兄弟姉妹は、2013年の時点でこの二人だけである。『蛇の穴』(1948年)ではニューヨーク映画批評家協会賞やヴェネツィア国際映画祭の女優賞を受け、『女相続人』ではゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)も得た。1960年にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名が刻まれ、2008年には国家芸術メダルを贈られ、2017年6月には史上最高齢の101歳で大英帝国勲章(DBE)を受けた。『風と共に去りぬ』の主要な出演者のうち、上映当時成人していた最後の存命者であった。

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